父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

「人間の脳」は「神の脳」の劣化版

神の脳は、目や耳などから得た情報や感じたことの全てを記憶として残せていて、その上で、さらに、「何度も見たい記憶」を思い出しやすくするために部分的な記憶に「ランク付け」を行って、「全部の記憶」「重要な記憶」「最重要な記憶」という風に整理をして、常に、自分で自分の記憶を簡単に思い出せる状態になっている。

「自分の脳」なのだから「自分が望む形」になっているのが当たり前な話で、もちろん、神の脳は、そうなっているのです。

人間の脳が、簡単に記憶できなかったり、すぐに忘れちゃったり、忘れたくても忘れられない嫌な記憶が残り続けたりして「自分が望まない形」となっているのは、神が教育用に作った「神の脳の劣化版」である脳だからなのであって、もちろん、神の脳は、簡単に記憶できて忘れないし、自分が「いらない」と判断した記憶は簡単に消去できる脳となっている。

当たり前のことが当たり前に出来ているのが、「神の脳」なのです。

神の脳は、宇宙を丸ごと記憶できる程の「膨大な記憶容量」を持っている脳であり、宇宙を丸ごと処理できる程の「驚異的な処理能力」を有している脳であり、だからこそ、全人類の記憶を丸ごと余裕で保存することが出来ている。

「神の脳」の1部分を借りた状態で記憶できている「人間の脳」の場合は、「教育用の脳」であるがために「神の脳」よりもはるかに劣るスペックとなっていて、だからこそ、人間は、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という、おかしな生き物となっているのです。

「人間の脳」の場合、「短期記憶」と「長期記憶」に分けられていて、重要な記憶が「長期記憶」の方に残されていて、一見、使いやすく整理されているように見えるけど、使いやすくはない。

「神の脳」みたいに、「まず全てを記憶して全てを思い出せる」という「第一段階」が抜けてしまっているのです。

「走馬灯」を見ている時、「人間の限界」を越えて、無理矢理こじ開けて、「自分の鮮明な過去」を見ているのだけど、緊急時だけじゃなく平常時でも、この機能を使えたとしても何の不都合もなく、むしろ、有り難い機能であるはずなのです。

暗記テストの時に、「走馬灯」という機能を活用すれば、簡単に100点が取れるようになる。

なのに、「受験の時に走馬灯を見た」という話は、聞いたことがない。

おかしな話だ。

そういう機能が付いているのに、自分の意思では、その機能を発動できない。

出来るはずなのに、「そうなることを強く望んでいる」のに、出来ない。

「一体、誰の願望が実現しているんだ?」って話なのです。

そう、これは、ただ、「人間の脳は神の脳の劣化版とする」という理由で、「人間の脳の作者」である神によって、その機能が閉じられているだけなのです。

もちろん、「神の脳」の場合は、常に、その機能が快適に使えている、ということになる。

使えないことの方が異常で、人間は、かなり不便で使い勝手が悪い脳を使って生きているのです。

人間の脳は100%出来ることを何%かに抑えた「制限装置」なのであって、目的は「脳力に恵まれた者」「脳力に恵まれない者」「サヴァン症候群」など様々な者で彩られた世界にするためであり、それぞれの立場となった時に「どう生きるのか」をテストするためであり、そのために神の手で固定化されているだけの話なのです。

サヴァン症候群」とは、

自閉症アスペルガーなどの知的障害や発達障害がある者の中で「特定分野に限って優れた能力を発揮する者」の症状で、

「発明王」と呼ばれているエジソン

「現代物理学の父」と呼ばれているアインシュタイン

「日本のゴッホ」と呼ばれている山下清がそうだったと言われていて、

「知的障害」「発達障害」という障害が「世の常識を拒む形」になっているから「新常識を生み出しやすい脳内環境」になっていて、だからこそ、「新たな時代を切り開く役割」を担った偉人に多く見られる「脳の形」だ。

本を一回読んだだけで全て記憶できたり、

絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できたり、

電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来たり、

時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来たりして、

天才サヴァンの人は、常軌を逸した能力を発揮することが出来ている。

画家である山下清の場合は、驚異的な映像記憶能力を持っていて、旅先で見た景色を鮮明に覚えたまま実家に帰って、その目に焼き付いた景色を風景画として見事に描くことが出来ていた。

様々な「脳の形」があるけど、この世に存在する全ての「脳の形」が神の想定内であり、もちろん、神は、「人間の脳の作り手」なのだから、今、ある、「脳の形」で神が知り得ない形はなく、全てが神の手で再現可能な形、ということになる。

神は「全部」の存在であるから

「人間の脳で出来ていることの全てが神の能力の一部分」ということになり、

神は、一度見た景色は忘れないし、

本を一回読んだだけで全て記憶できるし、

絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できるし、

電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来るし、

時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来る存在なのです。

全てにおいて、神が「全部」で、人間は「一部」で、「人間の体」は「神の体」の劣化版であり、神が「人間の体」を作って維持し続けてくれているのだから、「人間の体の仕組み」は神によって完全に掌握されている、ということになる。

「神の脳」が、人間からの「手足を動かしたい」という思考を受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、遺伝子システムを駆使して、人間の手足を動かしている。

神が、人間からの思考を全て受け取って、実現可能なお願いだけを厳選して、代行して叶えてあげているのです。

「人間の脳の仕組み」も、例外ではありません。

あなたが見て聞いて感じた記憶は、まず、「神の脳」へと全て送られて全て記憶されていて、そして、あなたが「自分の記憶」を引き出す時は、「神の脳」に「記憶をくれ」とお願いして、そのお願いを聞き入れた「神の脳」が、「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で「あなたの記憶」を引き出してあなたへと渡している。

若い頃よかった記憶力(記憶引き出し力)がだんだんと衰えていくのは、「老いたら記憶力を衰退させる」という雛形になっているからで、そうなるように、神が、「リミッターの調整」を行っているだけの話なのです。

老いても鮮明に記憶できているのだけど、そのリミッター機能が働いて記憶を容易に引き出せなくなってしまっているだけで、ちゃんと、「神の脳」に、その記憶は鮮明な状態のままで残されている。

走馬灯を見ている時は、そのリミッターが一時的に解除され、一瞬だけど、その記憶を見れている、ということになる。

そして、もちろん、「神の脳」の場合は、リミッターが全て解除されている状態が通常運転であり、常に各種機能のONとOFFを自由に選択できる状態であり、ずっと老いなくて、ずっと記憶力が衰えなくて、未来永劫、ずっと快適な動作環境のままであることは、言うまでもありません。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

第6感である「思考覚」

神世界の日常生活において、口を使わずに「思ったこと」を直接相手に伝える会話手段を成立させている神経を「思考覚神経」と名付け、そして、「思考覚」は人間の五感以上の感覚なので「第6感」としておきます。

この神経は、神と神の間では会話的に使用されているのだけど、人間に対しては、「人間から一方的に思考を読み取る」「人間に一方的に思考を送る」という風に、一方通行となっている。

神対神の場合は、「この思考は伝えるけどこの思考は伝えないでおこう」という選別が出来ているのだけど、神対人間の場合は、人間側が思考覚を扱える状態ではないため、常に、神側が主導権を握っており、「神が人間からの思考を全て受け取って実現可能なお願いだけを代行して叶える」という形が、今現在での通常運転となっている。

あなたからの「手足をこう動かしたい」という思考信号を「思考覚神経」を通して「神の脳」が受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で、「神の脳」が「手足をこう動かせ」と指令を出して、その指令に従ってあなたの手足は動くこととなる。

その指令は、「遺伝子システム」を活用して「人間の体」の各部位の細胞1個1個を同時に動かす形で実現されていて、もちろん、「遺伝子システム」の考案者である神が完全支配している世界であることは、言うまでもありません。

「人間」という生き物は儚い存在で、神がいなければ体を動かすことすら出来ない存在で、常に、神に思考を読まれている存在でもある。

なんとなく思っている「退屈だな~」だとか「困ったな~」だとか「嬉しいな~」だとかも、神からは丸聞こえで、だからこそ、それらの「思い」の雛形である「退屈顔」や「困り顔」や「笑い顔」などの「顔の表情」が、神によって用意周到にデザイン化されているのです。

人間が思っている以上に、人間は、神に完全依存して生きていて、「記憶管理」ですらも、完全に神のコントロール下に置かれている。

人間は「神の脳の1部分を借りた状態で」記憶することが出来ていて、だからこそ、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という「おかしな脳」となっている。

「暗記するのに苦労する」という苦しみは、神世界では、有り得ない苦しみなのです。

「神の脳」に、リミッターは付いていない。

だから、とてつもなく膨大な量の記憶を、余裕で保有できている。

あなたの目は「神が与えたもの」であり、あなたの耳も「神が与えたもの」であり、あなたが見た映像を神も見ていて、あなたが聞いた音声を神も聞いていて、人間達が「アカシックレコード」と名付けた巨大な「神の脳」に、全てが記憶されて残っている。

「1つの宇宙」を軽々と管理し続けている脳なのだから、「1個人の一生分の記憶を残す」なんてことは余裕で実現できていて、それだけじゃなく、生と死を何度も繰り返して違う体で生きてきた「あなたの魂が生まれてから今までの記憶」も、ちゃんと「神の脳」内に残されているのです。

神が「記憶処理能力」に制限をかけているから、人間は、目や耳などから得た100%の記憶を思い出すことが出来ないのだけど、その「100%の記憶」は「神の脳」にちゃんと残されていて、「それは、後の、お楽しみ」という感じで、サプライズプレゼントとして、神が大切に保管して預かってくれている。

この世は「神が作った世界」であり、神に対して隠れて出来ることは、何1つとして、ない。

神は「人間の脳の作者」なのだから、あなたの記憶は全て掌握済みで、神と初対面した時に自己紹介する必要はなく、「私です」と一言いえば、「ああ、あなたのことなら何でも知ってるよ、それ以上、自己紹介する必要はない」と神が応える形となる。

あなたのことで、神が知らないことは、何1つとして、ないのです。

あなたに思い出せることは、神にも思い出せる。

むしろ、あなたは、何%しかあなたの過去を覚えていなくて、神は、100%あなたの過去を覚えている存在なのです。

そして、将来、あなたが神となり、「思考覚」を扱える存在となれたなら、走馬灯で見る「不完全な過去の記憶」ではなく、「神の脳」に鮮明に残っている「完全なる過去の記憶」を、神対神の会話的な形で、あなたの魂の産みの親である神から手渡されることになるでしょう。

その時、現世だけじゃなく、前世・前前世・前前前世……という過去世の自分の記憶をも、鮮明に目にすることになる。

人間の親が子供にしていることは、あなたの魂の産みの親である神もしていて、そして、それは、人間よりも「はるか上」のことをしている。

神は、宇宙の作り手なのだから、宇宙を丸ごと撮影して「あなたの成長記録ムービー」として、残してくれているのです。

神から見たら、人間が使っているビデオカメラは、子供用のオモチャだ。

そのオモチャは、「親である神」が「子供である人間」に創意工夫を学ばせるために、「子供の頭でも作れる程度に」わざと簡単に作れるようにしたオモチャで、神が試行錯誤して用意してくれた数々の「雛形」を組み立てるだけで作れてしまうオモチャで、やっていることは、人間の子供が親から与えられた「積み木のオモチャ」で遊んでいる程度のレベルでしかない。

神技術と人間技術では、それぐらい、大きな隔たりがある。

そして、神技術が凄すぎるから、目の前で披露してくれているのに、今までの人間は、自分が「圧倒的な技術力で彩られた世界」に住んでいることに気付けなかっただけの話なのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

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私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
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体の死を乗り越えて魂は生き続ける

サナギになってチョウチョの幼虫の体がなくなることを「死ぬ」として、サナギからチョウチョの成虫の体が形成されることを「生まれる」とすると、「死ぬ前」と「死んだ後」で同じ魂が入っていると考えるのが普通で、「幼虫の時の魂と成虫の時の魂は別物だ」と考える人は、いないはず。

サナギの時点を受精した受精卵だと考えると「人間の誕生」の仕組みが見えてきて、生まれる時に、生まれる前の体(チョウチョの幼虫みたいな状態)から生まれた後の体(チョウチョの成虫みたいな状態)へと神の手によって変更されていて、人間の場合は、その時に、記憶の封印処置も施されている、と考えるのが一番しっくりくる自然な流れ。

「生」と「死」というのは、「体が変更される」というだけの現象で、「生まれる前」「生まれてから死ぬまで」「死んだ後」いずれも同じ魂で、神が存在を認めている限り、ずっと魂は生き続ける、ということになる。

いつか神となれる未来を見据えて、そのために、沢山の教材(雛形)を用意して、神が人間を親身になって教育してくれているのだから、「体が死んだら終わり」というのは、おかしな話。

人間の体が死んだ後も、中身である魂は、「神の目」には見えているけど「人間の目」からは見えなくなった「新たな体」を与えられて生き続けている、と考えるのが、一番、理論的に納得できる話なのです。

「真の死」は魂の消滅を意味し、神世界へと行く前であっても、神が消滅させない限り、「体の生と死を繰り返す」という変則的でいびつな形だけど、魂は永遠に生き続けるのです。

「体が死んだら終わり」じゃなく「体が死んでからが始まり」で、新たな始まりを、人間世界よりも上の世界で成し得たいのであれば、自分の魂を自分の手で良き方向へと導いていく必要がある。

なぜ「体の死」という苦しみを課せられているのかというと、すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、罰的な意味もあり、教育的な意味もあって、そうなっているだけで、ちゃんと「神の言葉」に従って良き魂となれば、「体の死」という苦しみから解放されて、「永遠の命」と「自分の体を自由に選べる」という、真に永遠であり、真に自由である神世界で、いつか、きっと、暮らせるようになる。

神が100%の能力を発揮した神技術や神作品で彩られていて、夢みたいな世界が実現しているのが神世界。

神が能力をセーブして作った「この世」で実現できている結果から神世界を推測して、ちょっと覗いただけでも、とんでもなく凄い世界であることが、うかがえる。

例えば、の話。

あなたが、録画したテレビ番組を再生して見ている時、「ちょっとトイレに行ってこよう」と思って「一時停止」して、トイレを済ませて戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。

これは、何気ない、人間生活のひととき。

神の場合は、こうなる。

神が、自分が作った宇宙を再生して見ている時、「ちょっと世界中をじっくりと見て回ってこよう」と思って「一時停止」して、世界中をじっくりと見て回って戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。

これが、何気ない、神生活のひとときなのです。

う~ん、神の例え話の方は、「一時停止」というよりも「スーパースロー」と表現した方が、いいのかもしれない。

人間が走馬灯を見ている時は、ありえないほど膨大な量の「自分の過去」を、一瞬で、見ることが出来る。

その時、おそらく、「人間の思考速度」に制限をかけているリミッターが一時的に解除されて「神の思考速度」に近づいている状態なのでしょう。

「自分の思考速度を調整できる」神は、自分の思考速度をMAXにして、それから「自分の宇宙内を巡回している」という感じなのだと思います。

もしくは、そのMAX状態が通常運転で、人間側の思考速度の方を調整しているのかもしれない。

いずれにせよ、神が軽々と行っている日常生活が、人間の想像をはるかに超えたものであるのは、間違いない。

神は、人間世界を随時チェックしていて、ダメな部分の修正をいつでも行える立場なのだから、もちろん、人間が走馬灯を見ることも想定の範囲内であり、それを修正することなく残し続けているのは、「神がどんな存在であるのか」「神世界がどんな世界であるのか」を知るヒントとするために「あえて」残している、ということになる。

「遺伝子」「サナギ」「走馬灯」、神が粋な計らいで「わざと」残した数々のヒントを繋ぎ合わせていくと、衝撃的な事実へと辿り着けるように、この世は作られているのです。

当たり前なことが当たり前に出来るのが神世界であり、神なのであって、神世界の科学力は、人間世界の科学力を、圧倒的に凌駕している。

人間技術は、常に、神技術の後追いであり、劣化版なのです。

だから、人間世界で実現できている技術の「さらに上」を考えると、神世界の技術が浮き彫りになってくる。

人間が、グーグルマップで世界を「拡大」「縮小」して地図を見ているように、神は、「宇宙規模」「太陽系規模」「地球規模」「国規模」「都市規模」「家規模」「人間規模」「細胞規模」「原子規模」という風にズーム倍率を変更して、宇宙のどこであっても鮮明に見ることが出来ている。

人間よりも「はるか上」の技術を使用している神なのだから、これくらいのことは出来て当たり前なのです。

そして、もちろん、「神の目」は、「人間の目」みたいに、酷使したら充血したり疲れ目になったり頭痛になったりすることはなく、衰え知らずで、疲れ知らずで、ずっと快適に使用できて健康なままであることは、言うまでもありません。



Author:神描人(かみえがきびと)

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神の掌の上で踊る科学者たち

神が「飲んだり泳いだり入浴したりすることが出来る水が欲しいな」と思ったから「飲んだり泳いだり入浴したりすることが出来る水」が実現しているのであって、

「なんかビョーンって伸びて縮むゴムが欲しいな」と思ったから「ビョーンって伸びて縮むゴム」が実現しているのであって、

「南国のトロピカルなパイナップルが欲しいな」と思ったから「南国のトロピカルなパイナップル」が実現している。

ぜ~んぶ、神が思ったことが実現できてしまっているのです。

もちろん、神作品の1つである「人間の体」も、例外ではありません。

神世界では、自分で自分の体を選べるのだから、強制的に「オスの体」「メスの体」という風に固定化されていない。

「男と女に分けた方がよりドラマチックな展開になるだろう」と神が思ったから、その「思い」が実現して、この世に「男」と「女」が存在しているのです。

異性を誘惑する「フェロモン」ですらも、神が考案して生み出したものなのであって、「青春や恋愛を彩るために男女をメロメロにしちゃおう」と神が思ったから、人間は、異性に夢中になってメロメロになっている。

直接会わなくても、テレビやラジオから異性の魅力が十分に伝わってくるのは、神の「表現力の凄さ」故であり、「芸術的センスが抜群」だから成し得ている技なのです。

男性のかっこいい立ち振る舞い、女性のかわいい仕草、

かっこいい声、かわいい声、

これら全ての雛形を神が用意してくれたからこそ、

「かっこいい」と「かわいい」が実現できているのであって、

それ故に、さらに、もっと、男女が魅力的になって、異性にメロメロになっている。

同性を好きになったりするイレギュラーも発生するけど、そのイレギュラーも神にとっては想定の範囲内であり、存在しているのであれば、何かしらの意味があるから、修正することなく、そのまま存在させている。

同性愛であっても美しく愛し合っているなら、それは、それで、良いことだと思うし、神は「性別」を超越した存在なのだから、「愛し方」さえ間違っていなければ、ちゃんと評価してくれているはずです。

レギュラーである男女のカップルであっても、醜い欲望でくっついているだけなら、それじゃ、意味がない。

神から、何を期待されているのかを、ちゃんと感じ取って生きていくことが大切で、心に愛が芽生えたら、なぜ、この世界が、このような仕組みになっているのかが、見えてくるようになる。

科学が進歩して様々な脳内ホルモンが発見されて、

快楽が得られる「ドーパミン」だとか、

不安や恐怖などの感情を抑えて精神を安定させてくれる「セロトニン」だとか、

愛を感じて心地良い気分にさせてくれる「オキシトシン」だとか、

色々と脳内の仕組みが科学的に解明されてきたけど、それらの、いずれも、神が思い描いて生み出した仕組みなのです。

ドーパミンは、何かを達成した時や激しく運動した時や笑った時などに分泌される。

セロトニンは、太陽を浴びたり軽めの運動をしたり美味しいものを食べたりした時などに分泌される。

オキシトシンは、人や動物とスキンシップをしたり相手を思いやったり親切な行動をしたり誰かと一緒に食事をしたり誰かを褒めたりした時などに分泌される。

「人間の脳の作り手」側である「神の立場」から考えてみると、見えにくかった真実が明らかになってきて、「何をやらせたいのか」が見えてくる。

愛や絆を大切にしたり、

運動や勉強や仕事を頑張って目標を達成したら、

「幸せホルモン」と呼ばれているドーパミンセロトニンオキシトシンが分泌されて気分が良くなり、さらには、生殖活動を促すために、セックスをしたらエクスタシーを感じるようにも作られている。

知らず知らずの内に、「人間の脳の作者」である神によって、あるべき形へと誘導されているのです。

「人間の脳」は神が創作した1つの芸術作品なのであって、だからこそ、「記憶力」や「記憶処理速度」ですらも、「人間に出来るのはココまで」と神によって制限がかけられている。

頭の回転が速い人と遅い人がいるけど、どんなに速い人であっても、「神の思考速度」には到底及ばず、その差は歴然なのです。

リミッターが付いていない「神の脳」は、驚異的なスピードで思考することが可能で、天文学的で膨大な情報量を記憶することも可能で、人間のソレとは次元が違って、全く比べ物にならない。

そして、もちろん、「人間の脳の作者」である神が、人間の脳内構造を知り尽くしている存在であり、「人間の脳」を実体化しているのは神なのだから、現存している全ての「脳内構造の形」を再現できる存在であることは、言うまでもありません。

この世で実現できていることの全てが、神には、再現可能なこと。

神の脳が、全てを実体化させているのだから、全ての型を再現できる。

全てが、神の想定内にある「1つの型」であり、想定外ではない。

すなわち、「人間は記憶喪失になることがある」という事実は「神はいつでも人間を記憶喪失にすることが出来る」ということを意味し、

交通事故にあった人が、事故の前後の記憶が「部分的にない」という事実は「神は人間の記憶を部分的に喪失させることも出来る」ということを意味することになる。

神がそういう処置を施しているから、人間は、「生まれる前の記憶を神に封印された状態で」生まれてくるのです。

一時的に喪失させる封印もあれば、できなくする封印もある。

オウムは人間の言葉を真似してしゃべることが出来るのに、ニワトリは、どんなに努力してもしゃべれない。

オウムには、できる。

ニワトリには、できない。

どういう方法で封印が施されているのかは分からないけど、明確な線引きが行われている。

そして、もちろん、これら全てが、神が定めた設定であり、神には、いかようにも変更可能であることは、言うまでもありません。

人間は、「木」や「鉄」や「石」などの雛形を使用して「家」や「ビル」や「橋」などを作って、雛形から派生させることは出来るけど、雛形そのものを作ることは出来ない。

神が、元々の形である雛形を作ったのであって、

試行錯誤して「原子の性質」という雛形をも生み出したのであって、

「水素はこういう存在だ」「酸素はこういう存在だ」「水素は酸素よりも軽い」と定めたのは神であり、

同じく、「人間はこういう存在だ」「男と女で体の仕組みを変える」と定めたのも神なのです。

人間が、体を鍛えて「かっこいい」をさらにかっこよく表現したり、

化粧品でメイクして「かわいい」をさらにかわいく見せたり、

「遺伝子組み換え技術」で新たな品種を生み出したりしているけど、

元々の、根源である「遺伝子システム」を考案したのは神であり、

「かっこいい」「かわいい」「男らしい」「女らしい」「美しい」「セクシー」などの雛形を用意してくれたのも、神なのです。

神が「雛形」を供給し続けてくれているから、人間社会は、今ある形を保つことが出来ている。

人間科学は「氷山の一角」であり、水面下には「巨大な神科学」が存在していて、神科学の恩恵を受ける形で、やっと、成立しているのが「人間科学」なのです。

今までの科学者たちの功績は、薄氷の上で成り立っている。

遺伝子や脳内ホルモンなどを、

神が可視化して「わざと人間の目でも確認できる形で残してくれた」からこそ、科学的に解明できたにすぎず、

もし、神が、その形跡を消して、ヒントを与えなければ、

科学者はペラッペラな存在となり、

「科学的に解明できていません」「科学的に解明できていません」と連呼するだけの木偶の坊へと成り下がってしまう。

科学者が「何を科学的根拠としているのか」を考えてみれば、科学者は「神に踊らされているだけにすぎない存在」だと分かってくる。

科学者「地中を詳しく調べたら発見できたんです」
(神が埋めておいた作品を掘り起こしただけ)

科学者「顕微鏡で拡大してみたら、なんと、こんなことを発見できたんですよ」
(神が創った作品をじっくり見ただけ)

科学者「大発見だ!遺伝子を調べたらビックリ仰天な事実が分かったぞ!」
(神が書いたメモ帳を読んだだけ)

どれもこれも、科学者たちが発見するのは、

神が「あらかじめ教育用に用意しておいた教材」ばかりで、

神目線から見ると、とんだ茶番で、「作者がそう設定しただけだぞ」って話なのです。

例えるなら、科学者たちは、真剣な顔をして

「“千と千尋の神隠し”を調べたら“人間は息を止めて橋を渡らないと化け物たちに見つかってしまう”という事実が判明したぞ!」と誇らしげに言っているだけなのです。

科学者たちが集まる学会は、

神を評する会で、

神作品の品評会をするために映画評論家(神評論家)が集まって、

「神作品の素晴らしさ」を語り合ってワイワイガヤガヤと盛り上がっているだけの会合で、

1つの例え話をするなら、

神が化学方程式を人間に学ばせるためにサンプル的に用意しておいてくれた「水」というアート作品に魅せられた科学者が、「水素と酸素で水が作れる」ということを発見して、それを、周りの人々に自慢顔で言い聞かせているだけの話なのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

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神は「人の心」を重要視している

外面をいくら取りつくろっても、内面が伴っていなければ、何の意味もない。

神は、内面を、心を、重視しているのだから、外面は、見てくれは、お飾り程度の存在価値でしかない。

逆に、性格的に気弱で、周りの目が気になったりして、どうしても一歩踏み出す勇気がなくて「やりたくても出来ない」という感じなら、神世界は「思ったことが実現できてしまう世界」なのだから、ちゃんと正しく思えているのなら、それだけでも、十分、神から好評価をもらえていることになる。

行動に移せたら、さらに良いのだけど、まず最初の段階である「心の中でちゃんと正しく思えているのかどうか」が最重要事項なのであって、詐欺師がダマす目的で人に優しく接していたとしても、それが評価されないことは誰の目にも明らかで、もちろん、全てをお見通しである「神の目」を欺くことは絶対に出来ない。

悪いことをしてしまった後に「反省」することが大切で、人間が作った刑務所からは「更生したフリ」で出ることが出来るけど、神が作り上げし刑務所からは「更生したフリ」では出ることが出来ず、そして、ちゃんと更生できたなら、神が、「人間世界よりも上の世界」へと連れて行ってくれるのです。

「人間世界」は、あなたが思っているほど、恵まれている世界じゃない。

もっともっと「上の世界」があるのです。

もちろん、一番上の世界は「神世界」であり、神から見て「良い」と判断された者が、「上の世界」へと行ける片道切符を手に入れることが出来るのです。

神世界では、「固定化された体」「固定化された顔」で過ごしていないのだから、神が「体形」や「顔立ち」で評価することはない。

そもそもからして、神が「人間の体」をデザインして、さらには、「遺伝子」ですらも神がデザインしたものなのだから、そこから派生した「美男美女」も、遺伝子的に流動して成し得た奇跡的な神作品の1つにすぎないのです。

からしてみたら、服にポケットを付ける程度の感覚で、人間の体に遺伝子を付けている。

付けた理由は、車の運転席で表示されているメーターパネルみたいに、車(人体)の状態を分かりやすくするために可視化しているだけなのです。

人間の目からは、簡単に見て確認することは出来ないけど、神の目からは、簡単に見て確認することが出来ている。

もちろん、見るだけじゃなく、「作り手」である神は、全ての遺伝子の初期設定をした立場なのだから、いくらでも自由に設定を変更し放題なのです。

アニメ映画「千と千尋の神隠し」で銭湯の入り口である橋を渡る時、人間は、息を止めないと正体がバレてしまう設定で、千尋が失敗して息をしてしまいカエルの化け物に見つかってしまった場面があったけど、2001年7月に公開されてから19年たった2020年6月現在でも変わらずに、作者がリニューアルを行わない限り、ずっと「息を止めないと見つかってしまう橋」のまま存在している。

それと同じで、ずっと昔に神が思いついた「人間の子供は母親似か父親似の顔になりやすい」という設定も、その後、作者によってリニューアルが行われていないから、今現在でも残っているだけの話なのです。

「人間的な意思」が加味されている法則は、神が作った法則。

「親に似た子が生まれた方がより愛着が湧くだろう」という「人間的な意思」が加味されているから、そういう法則になっているのです。

神は、普段、自分の体の外側にある「神々が住んでいる世界」で暮らしているから、自分の体の内側にある「人間たちが住んでいる世界」をメインとして行動していないから、なかなか人間世界のリニューアルは行われない。

体内において、自動的に魂が成長していける世界は構築してあるから、神自身は、だいたい、体外で、神生活を満喫しているのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

人間の体は神の手で固定化されている

どこかに雛形がないと、人間を人間たらしめる「体の形」を保ち続けることは出来ない。

誕生時に1個体の「人間の脳」が形成される前から、その雛形は存在しているのだから、人間の脳内に雛形が存在している訳ではない。

そう、人間達が「アカシックレコード」と名付けた巨大な「神の脳」内に、その雛形は存在しているのです。

神が忘れないから、人間は、人間として存在することが出来ている。

「人間の一生」「鳥の一生」「魚の一生」という風に、体の成長過程が固定化されている雛形は、親から子へと受け継がれるものではなく、神が手助けする形で、上手いこと装って「親から子へと受け継がれているように見せかけている」だけなのです。

本来、自分の体というのは、自分の手で、自分が望む形へと変化させていくのが自然な流れなのであって、それが、神世界における通常運転となっている。

そんな、元々からある当然の権利を失ってしまっているのが今の人間の現状であり、神が設定した原子的な性質や現存比率、遺伝子的な体の形状固定などの制約によって「できない」「これもできない」「あれもできない」と出来ないことだらけで過ごしているのが、「人間」という生き物の正体なのです。

空気、水、火、土、さらには重力ですらも「神が作ったもの」だと考えれば、いかに、人間が不自由な世界で生きているのかが見えてくる。

それらを「作る側」である神世界が、いかに、自由な世界であるのかが見えてくる。

もちろん、人間以外の知的生命体にも同じことが言えて、あらかじめ体の成長過程が決められていて、そのレールに沿う形で成長していっているのであれば、その体は「神が思い描いて作り出した雛形」を元にして存続している、ということになる。

そして、これは、生き物だけに限った話じゃない。

無生物に対しても、神の意向が反映されていて、教育的なレールが敷かれているのです。

神が、ゴールドを希少価値がある存在とするために、わざと、少な目にゴールドを土の中に埋めておき、それを、土を掘って発見した人間が「希少価値があるゴールドを手に入れたぞ!」と大興奮して大喜びしている。

ゴールドというのは、神世界では、「原子発生装置」を調整し直せば、いくらでも作り放題な量産品で、人間世界におけるオモチャの金貨程度の価値しかなく、安っぽく作られた偽物のブランド品みたいな存在なのです。

ゴールドだけじゃなくダイヤモンドやルビーなどの宝石類全てに同じことが言えて、「作られた世界」に住んでいる人間は、どこに行っても、何をしても、神の掌の上で踊っているだけの存在にすぎないのです。

土中の金の比率、銀の比率、銅の比率、空中の酸素の比率、二酸化炭素の比率、水素の比率、これら全てが神によって定められた「空想上の比率」なのであって、「宇宙の作り手」である神には、いかようにも変更可能なこと。

神が「テストする側」で、人間は「テストされている側」、この関係性は、あなたが神となるまで、ずっと、続くこととなる。

テストするために、様々なシチュエーションを作るために、人間の体は子供から大人へと成長していき、そして、老いていくのです。

テストされる立場ではない神は、人間みたいに「子供」「大人」「老人」という風に強制的に体を固定化されていないし、病気にもならないし、ケガもしないし、自分の手で自分の体を何度でも自由に作り直せるのだから、ずっと、健康な状態のままで生きている。

「子供用の体」「大人用の体」「老人用の体」「病気の体」「ケガの体」という風に固定化されている「人間の体」は、テスト用に作られた体なのであって、「子供」「大人」「老人」「病人」「ケガ人」、それぞれの立場を体験させるために、あえて、わざと、神の手によって固定化されているのです。

人間が切望している「永遠の命」は、人間が思っているほど特別なものではなく、元々から神世界に住む者にとっては、最初から当たり前に持っている当然の権利であり、強く望まぬとも簡単に手に入れることが出来ている。

今の人間は、その当然あるべき姿が奪われてしまっている状態で、ずっと、「なぜ与えてくれないんだ」と嘆いて、渇望して、懇願している悲しき生き物なのです。

いくら懇願しても、テストに合格しなければ、その状態から脱して、「永遠の命」を、自由を、手に入れることは出来ない。

自由な世界に住むためには、自由であるが故に、「自分で自分を律する精神」である自制心が不可欠なのです。

相手の気持ちを思いやれない者を、神世界に住まわせる訳には、いかない。

だから、神世界の下に、試験的な世界である「人間世界」が存在しているのです。

老人、子供、病人、障害者、様々なシチュエーションで、自分がそうだったら、相手がそうだったら、どう感じて、どう接して、どう対処するのかを試されている。

そのための「体の固定化」なのです。

電車で老人に席を譲ってあげて、沈みゆく船から女・子供を優先して救命ボートに乗せてあげて、障害者用のバリアフリーを作ってあげて、病気やケガで困っている人がいたら手助けしてあげる。

手助けをされることを嫌がる人もいるけど、まずは、「助けたい」「救いたい」「喜ばせたい」という相手を思いやる心が大切で、それから、「相手の性格によって対応を変える」という高度なことを学んでいく。

生と死を繰り返して、様々な立場を体験して色々なことを学び終えて、立派な魂となって「神になってもいいよ」という合格ラインに達したら、いよいよ、待ち望んでいた光り輝く世界である「神世界での生活」がスタートすることになるのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

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神世界に行くためにするべきこと

今まで、神がやっていることを長々と書き連ねてきたけど、いざ、それを、理性なき者にやらせたら、とんでもない事態になってしまうことは明白だ。

だからこそ、神となれるかどうかを試すために、神世界の下に試験的な世界を作って、そこで、どんな魂になるかをテストされているのです。

愛なき者を、神世界に住まわせる訳には、いかない。

過去における失敗から、教訓から、神世界には、簡単に住めないようなシステムが構築されているのです。

新たに魂が生まれたら、まず、神世界よりも下の世界に住まわせて、何層に区切られているのかは分からないけど、下の階層から上の階層へと昇っていき、最終的に「神世界に住まわせてもいいかな」と判断された者だけが、神世界へと行けるシステムになっている。

その途中段階に存在しているのが「人間世界」であり、だいぶ魂が成熟してきて「愛とは何なのか」「なぜ愛が必要なのか」という高度なことを学んでいる世界なのです。

そして、体を固定化することで「自分と容姿や能力や個性が異なる者に対してどう接するのか」ということを試されている世界でもある。

神は、人間や鳥や魚みたいに「人間の型」「鳥の型」「魚の型」という風に「固定化」された不自由な体ではなくて、自分がなりたい姿へと自由に変更できる体で生きている。

その自由を与えられていないから、顔を変更する自由を与えられていないから、人間は、砂糖に群がるアリみたいにアイドルに群がって熱狂している。

美男美女に陶酔するのは悪いことではないのだけど、さらに上の世界を見据えるならば、魂の審美眼を磨いて「人間の内面」の方も重視できるようになっておかなければいけないのです。

優しいフリして、性格が最悪な人間がいる。

見た目だけキレイで、中身が最悪な人間もいる。

たいしたことない容姿で、どこが凄いのかよく分からないような人間が、実は、神から絶大な高評価を受けていたりするケースもあるのです。

失って、はじめて気付けることも沢山ある。

若くて美人だった時にはチヤホヤして言い寄ってきたのに、老いてシワクチャになると、とたんに態度を変えて汚いものでも見るような目で去っていく男

金持ちだった頃には笑顔で近寄ってきたのに、金持ちじゃなくなると、急に態度を変えて冷たい目で見てくる女。

こういった経験を何度もしているうちに、本物の愛が見えてくるようになる。

偽物の愛ではなく、本物の愛、無償の愛。

恋人同士なら、相手の笑顔を見たいから心がこもったプレゼントを手渡したり、相手が喜ぶデートコースを一生懸命に考えたりして、相手の気持ちを思いやって愛し合い、夫婦なら、お互いに子供の進路で悩んだり、子育てを協力することで自分達も人間的に成長させてもらって、「お父さん、お仕事がんばってね」「お母さん、お弁当ありがとう」と言われて泣いて喜んだり、いろいろな苦難を一緒に乗り越える事でお互いの絆を深めたりして、美しい愛をはぐくんでいく。

愛があるからこそ、人は強くなれるし、苦難の中へと飛び込むことができるし、人々を心から感動させてくれる数々のドラマが生まれるのです。

あなたが幸せな時に他人に邪魔されたくないなら、あなたも、他人の幸せの邪魔をしてはいけない。

立場を逆にして考えてみることが大切で、そうすれば「何をしたらダメなのか」が見えてくる。

テレビドラマや映画などを見て、疑似体験で「何が善で何が悪なのか」を分かっているのだから、少しずつでもいいから、善の方を自分の中に浸透させていって、神となるために、理性を育てていかなければいけない。

醜い欲望は、純粋な愛を台無しにする。

頭の中から完全に醜い欲望を消し去るのが、正しき選択なのです。

魂が生まれたばかりで「悪」を知らない者は、「自分の都合」だけ考えて欲望のままに突っ走って、「悪」だと知らずに「悪」を実行してしまう。

まず「悪」が何なのかを知って、そして、「悪はダメだよ」「悪はダメだよ」と何度も言われ続けることで、やっと、だんだんと「悪魔の誘惑」に勝てるようになっていって、立派な魂へと成長していくものなのです。

「やっちゃダメだよ」と、親が子を叱り、先生が生徒を教え諭している「聖なる言葉」は、はるか昔に、「神の言葉」を受け取った預言者が、人々へと教え広めた言葉。

何度も「違う体」に生まれ変わって、何度も「聖なる言葉」を目にしてきたはずなのに、未だに、ちゃんと守ることが出来ていないのは、守ろうとしなかったからに他ならず、そんな未熟な魂が集まって形成されているのが、今ある「人間世界」の正体なのです。

ちゃんと成長できた魂は、もう、上の世界へと旅立っている。

上の世界へと行けなかった者が、また、人間として生まれてくるのです。

最終的に神となるための旅路なのだから、「間違ったことをしたら叱ってあげる」というのが愛であり、「悪の道に進んでしまったことを後悔させてあげる」というのが究極の愛なのです。

もちろん、自分が毒された側なら、自分で解毒していく必要がある。

自分の心の中に悪の進入を許してしまったとしても、自分でその悪を退治できたならば、悪に対して強い免疫ができた魂となれるし、悪を知らない人間よりも悪を退治することに秀でた魂となれる。

自分の人生を振り返ってみて、親が悪だから悪になるしか道がなかったり、悪にならなければ生き残れなかったりした人のケースでは、これを、神から期待されているのです。

悪になってみないと、どれが悪に対して有効なのかが分からない。

人から聞いた話だけでは、本当の意味で身に付いていない。

自分に試して効果があった体験が、そのまま悪に対して有効なワクチンとなるのです。

ハッカー退治に最も活躍できるのは、ハッカーの手段を知り尽くしている元ハッカーだった人間なのです。

悪だった人は、まず、自分の力で自分を更生させてから、次に、過去の自分と同じ悪を持っている人を更生させる役割を担当して、社会に貢献するまでを神から期待されている。

これは、悪を避けて生きてきただけの人間には出来ない芸当だ。

相手に対して、まず、「オレもそうだった。その気持ち分かるよ」という話から始められるのが、大きいのです。

悪を知っている分、たくさんのアドバイスが出来るようになっているはずだし、悪いことをした分は、良いことをして取り戻さなければいけない。

出来る範囲内でいいから、とにかく悪と戦ってみて、悪に対して何が有効なのかを試してみて、見極めて、対処法を確立してから死ぬのが理想的なのです。

正と邪。

邪になって、はじめて気付けることが沢山ある。

不規則な生活で健康を害することで規則正しい生活の正しさを再認識できるようになるし、太ってみないと、どれがダイエットに効果があるのかが分からない。

いつの世も、真に有効なアドバイスを生み出しているのは、邪の立場から解決方法を模索している人達なのです。

邪を経験しなければ、何が正なのかが分からない。

神の言葉の正しさは、波乱万丈な人生を送った人ほど理解できるようになる。

理解できないならば、経験が足りないのです。

分かっているようで分かっていない人間は、文字を読んで記憶しているだけで、役に立つ場面に遭遇するまでは宝の持ち腐れとなっている。

本当に理解できるようになるためには、実体験が不可欠なのです。

経験が伴って、はじめて神の真意が分かるようになる。

「自分だけじゃなく全体的なバランスを考えなさい」という神の言葉が聞こえてくるようになる。

何事も、バランスが大切なのです。

自然環境のことを考えすぎると何も出来なくなってしまって文明が停滞するし、考えなさすぎると汚染が進んで人間が住めない環境になってしまう。

これは神の本意ではない。

文明を進化させつつ、なお、環境のことも考えて、開発技術とエコ技術を並行して進めていくのが望ましいのです。

何事も「中道」が、いい。

そもそも、人間の体からして、そのように作られているのです。

やらなすぎれば病気になり、やりすぎればケガをする。

絶え間ない努力を続けて超人となっている人は別だけど、生まれつき強靭な体を持っている人は別だけど、夢や希望や感動を与えたいために無理を承知でやっている人は別だけど、それ以外の人は無理をせずに適度な運動を続けるのが理想的なのです。

人間、命をかけてでも戦わなければいけない時もある。

そんな時は、例外だ。

いずれにせよ、まず健康管理の基礎を身に付けてからの話で、段階を踏んで徐々にレベルを上げていく必要があるし、自分の限界を知って無理をしない勇気も大切なのです。

他人にできることの全てを、自分もできる訳ではない。

自分を知って、自分の出来る範囲内でいいから、自分なりに考えて最善を尽くして頑張っていけばいいのです。

努力と根性も大切だけど、その前に、まず、自分を知ることが最重要事項なのであって、人それぞれ生まれ持った「課題」「好き嫌い」「得手不得手」「性格」「能力」が異なるし、悩みの解決方法も体質や運命によって変わってくるし、神から何を期待されて生まれてきたのかが違うのだから「みんなに同じことを押し付ける」教育は間違っているのです。

相手によって柔軟に対応するのが、本物の教育。

アドバイスされた側も、アドバイスが間違っていると感じたならば「違うものは違う」と断固拒否する勇気も必要だ。

どんなに偉い人であっても100%正しいことを言う訳ではない。

体が違うのだから、同じ作業をしていても他人の体験と自分の体験では微妙にズレが生じているから、有効なアドバイスも人によって異なってくるのです。

全ては「相性」であり、「相性が良いものを見つける」のが問題解決への最短ルートとなっていて、相性が悪いものを追いかけ続けても失敗するだけだし、相性が良いものを見つけると一瞬で解決することが多々ある。

他人の意見は参考程度にして「自分の力で見つける」のが大切で、自分で解決するためにこの世に生まれてきたのだから、他人に解決してもらったら貴重な体験を損する形になって進化が遅れてしまう。

楽してトクは得られないのです。

それでは生まれてきた意味がない。

ズルして手に入れた宝には何の価値もないし、頑張りすぎたら壊れてしまうから、適度な努力を継続して大成させていくのが理想的なのです。

人間、出来ないことは出来ない。

治らない障害は治らないのだから、「ない」ものは「ない」とあきらめるしか方法はない。

「ある」ものの中で、最善を尽くして生きていけばいいのです。

神は、ちゃんと分かってくれている。

頑張った分だけ、ちゃんと評価してくれている。

自分なりに頑張っていけばいいのです。

他人と見比べて劣等感ばかり感じていると、やる気がなくなってしまうからいけない。

「努力だけでは超えられない壁」というのが存在しているし、凡才がいくら努力しても、努力し続ける天才には、かなわない。

これは、どうしようもない事実なのです。

何かしらの理由があって神によって分けられているのだから、自分は自分なりに全力投球して頑張っていけばいいのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

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神世界のリンゴは腐らない

神は、死なないし、老いないし、衰えないし、忘れない。

人間みたいに記憶処理があいまいではなく、「この記憶は残してこの記憶は消去する」という風に的確に処理していて、残している記憶は、決して、忘れることはない。

だから、永い年月の間、ずっと、スムーズに、安定した状態で、自分の脳内にある記憶を雛形として、「人間の体」や「植物の体」を、それぞれのストーリーに沿った形で成長させることが出来ているのです。

神の脳が、遺伝子情報などの各種設定情報を読み取って、この世の全てを実体化させている。

だから、神の脳(アカシックレコード)にアクセスすれば、全ての成長ストーリーを読むことが出来る。

そして、もちろん、アカシックレコードの所有者である神が、全ての成長ストーリーを自由に変更できる立場にいることは、言うまでもありません。

神が、リンゴを映像化、味覚化、嗅覚化、触覚化、リンゴをかじる時の音を音声化しているから「リンゴ」という作品が存在している。

作り手である神は、ストーリーを自由に変更できるのだから、もちろん、神世界のリンゴは、腐らない。

わざわざ腐らせる必要性は、どこにもない。

神世界のリンゴはずっと新鮮なままで、「感覚化のシステム」が稼働している間は、いくらでも食べ放題なのです。

神世界にはエネルギーが満ちあふれているから、エネルギー不足で心配することはなく、膨大なエネルギーを要する「1つの宇宙」を軽々と維持できている世界なのだから、むしろ、エネルギーが有り余っている。

もちろん、リンゴ以外も作り放題で、自分で新たな食材を生み出すことだって出来るし、自分の味覚の方を変更して新たに味わうことだって出来るし、何でも自由に作れて自由に遊べる世界なのです。



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神世界の下に人間世界は存在している

「宇宙は神の体なのか?」という話はさておき、少なくとも、この宇宙を作った側である神世界、作られた側である人間世界、この2つの階層が存在していることは間違いない。

まず始めに神世界が誕生して、その下に人間世界が誕生した。

そして、神世界は、決して、滅びることがない世界なのです。

人間世界が、滅びゆく儚い世界なのは、テスト用に作られた世界だからなのであって、だから、わざと、住む環境をギリギリで生きられる過酷な状態に設定してあるのであって、苦しみだらけの世界で苦しみだらけの体でずっと生き続けるのは残酷な話だから、長く生きたとしても100年くらいを寿命として、むしろ、死ぬことは救済措置となっている。

死んだ時点で、天国へと、神世界へと行ける魂になっていたら、神が、天国へと、神世界へと連れていってくれるのだ。



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神は「始まりの世界」に住んでいる

神は、「始まりの世界」に住んでいる。

「第1の生命」が生まれた場所、「第1の神」が生まれた場所だ。

神は「死なない」から、「第1の神」が、今も、なお、生き続けていて、将来、あなたも神となって神世界へと行けたなら、「第1の神」から直接「生命の誕生」についての秘話を聞けるようになることでしょう。

大ざっぱなイメージとしては、おそらく、「こんなのが欲しいな」「こんなのも欲しいな」と自分の周りにあるものを寄せ集めていって、自分好みの体を形成していくのが一番最初における「生命の誕生」の流れ、という感じだ。

その後、「先に生まれた者」が「後に生まれた者」をサポートする形へと移行することになる。

そして、気が遠くなるぐらい、とてつもなく永き年月を経て、

神世界が「超高度な技術力」で彩られる世界となって、

神々が「超強大な力」を扱える存在となった時、

「超高度」であり「超強大」であるが故に、

魂が生まれたばかりの未熟な者に、いきなり「その世界」と「その力」を扱わせるのは危険だから、

神世界の下にテスト的な世界を作って合格した者のみが神世界へと行けるシステムが必要となり、

そのために作られた1つの教育機関が「人間世界」、ということなのでしょう。

人間世界は「合格して神になる」ためのテスト会場みたいな世界だから、神世界と比べたら遥かに劣る世界となっていて、人間の体も、神の体と比べたら遥かに劣る体となっている。

神世界は、全てにおいて「自由」である世界。

人間世界が「不自由な世界」となっているのは「神が教育用に作った世界」だからなのであって、教育を最重要視しているからこそ、人間の体は、自分で自由に変更できない「不自由な体」となっているのです。

人間の体が、子供から大人になるにつれて成長していき、その後、老いて衰弱していくのは、神が思い描いた「ストーリー」なのです。

人間だけじゃなく地球上の生き物たちは、みんな、それぞれ、神が思い描いた「体の成長ストーリー」というレールに沿う形で生きている。

あらかじめ「人間の型」「鳥の型」「魚の型」という風に生まれてから死ぬまでの一生の成長過程を種類ごとに決められていて、明らかに誰かによってデザインされている体に魂が入って生まれてくるのは、「生命の誕生」ではなく「魂の移動」なのです。

それは「魂を入れる器(体)を変更した」というだけの話で、どの器にどの魂を入れるのかを手引きしているのは神、ということになる。

「この世」から「あの世」、「あの世」から「この世」に行く時は、神が魂を入れる器を変更しているだけなのです。

もちろん、「作り手」である神の体は固定されておらず、「作る立場」なのだから、自分で自分の体を選び放題、ということになる。

「こんな顔は嫌だ」「こんな体は嫌だ」と文句を言いながら過ごしている今の人間の方が異常なのであって、それは、わざと苦しみを課す形で自由が奪われてしまっている状態であり、神世界では、絶対に有り得ない出来事なのです。

神は、自由な世界で、自由な体で生きている。

永遠の命と若さと美貌を当たり前のように所持していて、1億才、1兆才、1京才、……、1無量大数才、それ以上、という超高齢な神々、それぞれが自分で自由自在に変更できる体を所有していて、その中の1つが、今、あなたが住んでいる宇宙なのです。

神の体を一軒家に例えるなら、「この世」は1つの部屋であり、「あの世」も1つの部屋であり、死や誕生を契機に、神の導きによって、違う部屋へと魂を移動させている。

もちろん、「天国」の部屋が作られて用意されているのなら、神の手によって簡単にその部屋へと魂を移動させることも可能であり、そして、最終的に、神から「神となるにふさわしい」と認められて神となったら、一軒家の主となり、家を設計監理する立場へと移行することになるのです。

ただ、それだけの話。

簡単な話だけど、「作り手」である神の実力が凄すぎるから、多くの人間は「作られた世界(部屋)」であることに気付けない。

気付いていたとしても、まさか、宇宙が丸ごと部屋だとは、夢にも思わずに暮らしていたのです。

将来、あなたも神となったら、「どうやって部屋が作られていくのか」を明確に分かるようになることでしょう。

部屋に置かれている「ぬいぐるみ」が人間の正体であり、「人間」というぬいぐるみを着せられた状態で、今、あなたは過ごしている。

もちろん、その、ぬいぐるみを制作したのも、神なのです。

全てのデザインを、家の主である神が、行っている。

部屋(宇宙)の中にあるもの全てが、神が創った芸術作品なのです。

神は、「矛盾がない」世界に住んでいる。

あなたが住んでいる世界が、矛盾だらけで、自力で進化できなくて、自分の体すら支配できていない世界なのは「神によって作られた世界」だからなのです。

神は、何者にも縛られずに生きている。

自分の体は、自分が支配している。

それが、当たり前の話なのです。

人間みたいに重力に縛られていなくて、むしろ、重力を「作る側」の存在。

そう、宇宙内に存在する「人間的な意思」が加味されている法則の全ては、神が作った法則。

もっと理論的に言うならば、地球だけじゃなく太陽系の他の惑星にも、さらには太陽系以外の宇宙全体の惑星にも採用されている法則なのだから「宇宙の創造主である神が作った法則だ」という結論に到る。

「1+1=2」みたいに「人間的な意思」が加味されていない法則以外は、全て、神が定めた法則なのです。

何度も言うけど、遺伝子を読み解けばその1部分を読み取ることが出来るし、神が作りし法則は宇宙内を駆け巡り、宇宙全体に管理網を張り巡らし、何者も、その法則には逆らえない。

神は、人間に作れないものを、いとも簡単に作ってしまう。

人間が暗闇でタイマツを燃やすのと同じ感覚で、神は、宇宙内で太陽(恒星)を燃やして光を灯すことができる。

やってることは人間と同じなのだけど、スケールがケタ違いなのです。

神は、宇宙を誕生させた時点で、今現在の人間の生活様式を予見できていて、さらには、未来の生活様式も予見できている。

その宇宙に存在する知的生命体は、その予定表通りに進化していく体を与えられていっているのであって、自力で進化した訳じゃない。

「自分の意思」で進化できる世界は、神が住んでいる「始まりの世界」であり、その世界に住めるようになるまでは、真の自由は手に入れられないのです。



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人間の体はテスト用の体

神世界から隔離した僻地に「人間世界」という地獄(刑務所)を用意して、「人間の体」というテスト用の体を用意して、その場所で、その体で、何をするのかを試されている。

そして、神から見て合格だと判断された者のみ、上の世界(天国または神世界)へと引き上げるシステムになっていて、テストなのだから、もちろん、刑務所内で発生した言動や思考は、ちゃんと記録されて残っていて、それを元にして死後の進路が決められているのです。

人間世界は、かなり軽めの地獄で、それなりに楽しめる世界となっているから、自分が地獄にいることに気付いてすらいない人が大多数だと思うけど、苦しむ必要がない苦しみを見つけ出して列挙していけば、ありとあらゆる自由が制限されている監獄的な世界であることに気付けるはずです。

こういう言い方は、教育上、なるべく、しない方がいいかもしれないけど、大腸に住んでいるのが「大腸菌」であり、地球に住んでいる「地球菌」が人間であり、人間から見たら大腸菌は「かなり小さな存在」であるように、神から見たら人間は「かなり小さな存在」、ということになる。

大腸菌世界」よりも「人間世界」の方が遥かに楽しめる世界であり、

「人間世界」よりも「神世界」の方が遥かに楽しめる世界であり、

そして、「大腸菌の体」よりも「人間の体」の方が遥かに大きくて、

「人間の体」よりも「神の体」の方が遥かに大きくて、

そして、神は、自分の体を自由にデザインできる存在であり、さらには、自分の体内(宇宙内)に住む生き物たちの体をも自由にデザインできる存在なのです。

人間から「服」を貸し与えられている犬は、「人間が着せている」という事実に気付いているけど、神から「服(体)」を貸し与えられている人間は、「神が着せている」という事実に気付いてすらいない。

「神の技」は、凄すぎるが故に、気付けないのです。

「いつ着せられたの?」という疑問に対する答えは、「卵子1つから人間の体が形成された時点」であり、例外なく、全人類の体を、神が、「遺伝子システムを活用して」見事に作り上げている。

人間の体は、「人間の願望」が現実化した体じゃない。

「神の願望」が現実化した体なのです。

人間が老いていくのは、

神が「老化の術」という神技術で老いさせているだけの話で、

「弱者の立場を強制的に味あわせるために」そういう設定になっているだけの話で、

本来、「生命」というのは、誕生したら、ずっと若々しいままで、永遠に生き続けるのが、当然あるべき姿なのです。

今の人間は、当たり前のことが、当たり前に出来ていない。

もし、「人間の願望」が現実化してリンゴが出現したなら、リンゴが直で出てくるのが当然の流れなのであって、わざわざ、種をまいて植物として育てて実となってから、やっと、リンゴが食べられる「遠回り手順」には絶対にならない。

人間を育てる側の存在、教育する側の存在である「神の願望」が現実化している世界であるからこそ、育てられている側の人間から見て「遠回りルート」が選択されているのです。

今の人間が背負っている苦しみは、本来、苦しむ必要がない苦しみばかりで、近くばかりを見ていたからといって、近視になって遠くが見づらくなる必要性はどこにもないし、遠視になって近くが見づらくなる必要性も全くない。

近くも、遠くも、中間も、ずっと永久に快適に見続けられる目にすればいいだけの話で、もちろん、「神の目」は、そうなっている。

「人間の目」は、「神の目」の劣化版なのです。

なぜ、わざと、劣化版にしてあるのかというと、

目に異常が発生したら必死に「目の仕組み」を勉強し始めるだろうし、

仕組みを理解した上で近視や遠視を解消する「メガネ」や「コンタクトレンズ」を人間が開発し始めるだろうし、

それらの勉強意欲や開発意欲を強制的に引き出すために、あえて、「人間の目」を劣化版にしてあるのです。

卵子1つから目を作り上げた」のだから、

「目」というのは、本来、「何度でも作り直せる」のが当たり前であり、

もちろん、「完全なる遺伝子操作」という神技術が確立されている神世界に存在している「神の目」は、今ある「人間の目」みたいな「老いて朽ちていく目」ではなく、「永久に朽ちない目」となっている。

当たり前のことが、当たり前に出来ているのが、神なのです。

人間の体は、「教育を最優先にして」作られている。

食べ過ぎて内臓脂肪が増えると健康的な体に害が及ぶというのなら、

害が及ばない程度に脂肪を蓄えればいいだけの話で、

「お腹いっぱいになったよ」という信号が脳に送られてくるのだから、

そこまで見事に「これ以上食べると体の健康を保てなくなるよ」というリミットを明確に分かっている体なのだから、

「そのラインに達したら体に脂肪を蓄えるのをストップする」という仕組みにしさえすれば、

「お腹いっぱいで苦しくて、もう、食べられないよ~」なんていうおかしな苦しみから解放されて、

際限なく、ずっと美味しく食事をし続けられる体となれるはずなのです。

その「永遠の至福状態」にストップをかけているのは神であり、目的は「教育のため」であり、理由は「地獄(刑務所)だから」なのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

一瞬でも存在したなら神は模写できる

人間に出来ることは、神にも出来る。

コンピューターに出来ることは、神にも出来る。

宇宙内で実現できていることの全てが、神には実現可能なこと。

この世の創造主である神は、「創造主」なのだから、過去に「一瞬」であってもこの世に存在していたのならば、その存在を、何度でも、完璧に再現することが可能な御方なのです。

「神の脳」は、とてつもなく膨大な「無限」という記憶容量であり、

超快適に動作している「永久に朽ちないデータベース」であり、

そして、その「神の脳」が原子レベルでこの世を形成しているのだから、

神は、この世の全てを記憶して残すことが出来ていて、「リンゴ」や「ケーキ」や「建造物」などの一時的に存在している「形」であっても、その形を「自分の脳」内に完璧にトレースして、完璧に再現することが可能なのです。

人間にとっては、巨大すぎて掌握しきれていない存在である地球、太陽、太陽系、銀河系、宇宙は、言ってしまえば「原子の集合体」であり、「原子を供給し続けている側」である神にとっては、全てが、自分の頭で完全に掌握できている存在、ということになる。

創造主というのは「この世を作った」存在なのだから、この世で現実化できていることの全てが「神の能力の1部分」なのです。

犬の高性能な嗅覚、猫の高性能な聴覚、それらによって実現可能となる俊敏な捕獲道程、鳥の飛行能力、イルカの遊泳能力、コウモリのエコーロケーション、ホタルの「発光の術」、電気ウナギの「発電の術」、カメレオンの「隠れ身の術」、これら全ての生みの親である神には全てが見えていて、全てが所有している1つのテクニックであり、全てを自分の能力として完璧に使いこなせる天衣無縫な存在が、神なのです。

よどみなく、スムーズに、優雅に、雄大に、神の体は流動する。

神の体は、固定されていない。

「自由」だから、「真に自由な世界に生きている」から、人間みたいに可聴周波数や声帯で制限されていなく、全ての周波数を可聴できて、全ての周波数で声を奏でることができていて、神世界の音楽は、人間世界の音楽を、圧倒的に凌駕している。

音楽だけじゃなく、料理、芸能、全てにおいて、神世界の方が上であり、人間世界の方が下であり、神に勝る人間は存在しない。

なぜなら、「現在」から「過去」に変わった時点で、あなたがやったことの全てが巨大な「神の脳」であるアカシックレコードに吸収されて「神の能力の1部分」となり、宇宙内に存在する全ての知識と記憶と才能が「神のもの」と化すからです。

そして、神世界に存在しているほんの一握りが人間世界にまかれているだけで、全人類の知識を全て足し合わせたとしても、それでも、それは、神からしたら、ほんの一握りの知識なのです。

研究者たちによって次々に新事実が発見されて、賢人たちが過去の書物を読みまくって膨大な知識を手に入れたとしても、それは、ほんの「神の1部分」を知ったにすぎない。

神に対して軽々しく意見している人間は、実は、神について何も分かってないに等しい。

宇宙に存在する「全て」が神なのです。

神の処理能力の範囲内で宇宙は広がり、あなたの記憶は「神の記憶容量の1部分」を借りて使用しているにすぎず、神の検問を通過して制限を加えられて適度に少なくなったものが、今、あなたが所有している記憶なのです。

有限の存在であるあなたには、無限の記憶を処理することはできないから、神が必要な分だけ残して与えてくれている。

将来、あなたが無限の存在となれたなら、記憶の編集作業が行われていてダイジェスト版となっているかもしれないけど、あなたの魂が生まれてからの全記憶を神から手渡されることになるでしょう。

その時のあなたは自由に自分の体を変更できて、無限に記憶できて、永遠に生きられて、人間の五感以上の感覚を所有し、人間の体だった頃には思いつくことすら出来なかった極上の快楽で満ちあふれている世界に住むことになる。

映像や音声などの感覚は「神経を通して」直接相手に完成品を送ることが出来るから、いちいち歩いて食材を取ってきて料理する必要はないし、もちろん、オシッコやオナラやウンコなんてのはする必要がなく、病気やケガによる死への恐怖、肌のツヤや体力において若さを失う恐怖なんてのも全く存在しない極楽世界なのです。

周りを見渡しても魂の卒業試験をクリアした者ばかりだから、警察や裁判所なんてのも必要なく、なくったって皆ちゃんとしたルールが魂に刻まれているから、意味もなくあなたを傷つける相手はいない。

そんな夢のような世界が、今現在でも、すでに存在しているのです。

あなたは、そのことに、気付いていないだけ。

神世界での受け渡しは、神経を通して自分の中にあるものを相手へと直接与えてあげることができるから、食材の調達から料理、郵便物の運搬、CDやDVDなどの記憶媒体に保存してからの受け渡し、という面倒な手順を踏む必要はなく、完成品をポンと渡せる世界。

行きたい所にはすぐに行けるし、映像化や音声化など、感覚化の熟練同士がアイデアを出し合って形成されているから、文字通り夢みたいな世界が実現しているのです。

人間世界みたいに「遠回りルート」を選択することなく、神世界では、全てにおいて「最短ルート」が選択されている。

それが当たり前なことであり、当たり前のことが当たり前に出来る場所が、神世界なのです。

預言者を通して、やっと、ほんの少しだけ覗ける世界。

そんな世界が、今現在でも存在しているのです。

人間に与えられている労苦は、ちゃんと魂に良いクセを身に付けさせるまでのペナルティーなのであって、神世界には存在しないシステムなのです。

食事をする時の過程をよ~く思い浮かべてみて下さい。

食べ物を舌で感じて脳に伝わるまでにおいて、神経を通っている間は、ただの「信号」なのです。

どんなに美味しいものを食べたとしても、神経がなければ脳に伝わらない。

すなわち、これは、美味しい食べ物の「信号」さえ相手に何度もくり返し送り続ければ「美味しい食べ物を食べ放題」という状態が作れることを意味する。

同じく、目から脳、耳から脳に伝わるまでも、ただの映像信号と音声信号なのだから、

神々による信号のやりとりによってビックリするような世界が実現しているし、

その他の感覚も例外ではなく、

セックスをしなくてもセックスのエクスタシーだけを何度でも感じながら過ごすことだって可能だし、

何でもやりたい放題で、

いかに、神世界が極上の快楽で満ち満ちあふれているかを分かってもらえたと思います。

人間世界におけるギャンブルや酒やセックス以上の快楽がたくさん存在しているから、実は、人間世界で重宝されている快楽は、神世界では取るに足らないちっぽけな快楽として存在しているにすぎないのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

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あなたの記憶の全てが神の脳内にある

話を面白おかしくしようとして誇張して書かなくても、ただ、事実を書くだけで壮大な話になるぐらい神はとてつもなく凄い御方で、むしろ、「大げさ」じゃなく「小げさ」に書いているのに、それでも、人間が「信じられない」と言うぐらい神は規格外な存在だ。

年齢は、1億才、1兆才、1京才、いや、1無量大数才、いや、それ以上かもしれない御方で、

管理するのに膨大なエナルギーを要する宇宙をいとも簡単に管理し続けていて、

むしろ、神世界で有り余っているほんの少しのエネルギーを自分が所有する宇宙へと割り当ててお茶の子さいさいで管理できているのが現実で、

「宇宙の絵」「星の絵」「地球の絵」「大陸の絵」「海の絵」「雲の絵」「植物の絵」「動物の絵」「人間の絵」「細胞の絵」「原子の絵」、これら全ての「動」の絵を、永き年月をかけて壮大に描き上げた偉大なる創造主なのです。

神は、人間が持っている高画質なテレビよりもはるかに高画質なテレビ(宇宙)を持っていて、人間が持っている大容量の記憶媒体(SDカードやUSBメモリやハードディスクなど)よりもはるかに大容量の記憶媒体(アカシックレコード)を持っている。

だから、テレビ画面(宇宙画面)内で起こった出来事の全てを録画して残しておくことが可能なのです。

人間に「出来る」なら、神は「もっと凄いことが出来る」。

人間の親が「子供の成長記録」をビデオカメラに録画して残しているように、あなたの魂の産みの親である神は、あなたの魂が生まれてから今まで、何度も違う体に生まれ変わって生きてきた「あなたの成長記録」を、巨大な「神の脳」であるアカシックレコードに録画して残してくれているのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

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神は「最短ルート」を選択している

あなたは、神が作成した自動的に進行する教育プログラムの中で生きている。

神が設定変更を行えば、あなたが常識だと思っていたことは一瞬でくつがえされることになり、「この世」とは全く異なる設定になっている「上の世界」へ行けば、今、あなたが住んでいる世界の常識は非常識となり、非常識が常識となる。

もちろん、「人間的な意思」が関与している法則だけに限った話だけど、その法則ならば、神は、どのようにでも変更可能なのです。

土を耕して植物の種を植えて、肥料と水を与え続けて成長させて、何年も辛抱強く待って、やっと、美味しい果実が手に入る。

あなたはこれを「常識」だと思っているけど、これも1つの設定であり、完成品である果実がポンと手に入る世界にすることだって、神には可能なことなのです。

大事に育てることの大切さを学ばせるために、色々な知識を学ばせるために、植物の成長過程をわざと複雑にしてある。

学び終わったら、すぐに果実が手に入る世界へと移行することになるのです。

リンゴを種から育てて実を得るためには、普通、約10年くらいかかる。

その「約10年」という期間は、神がそう決めたからそうなっているだけの話で、もし、神が「約1ヶ月」と設定変更したなら、その時点から、「約1ヶ月」でリンゴの実を手に入れることが出来るようになる。

もちろん、「100年くらい」という人間の寿命も例外ではなく、神が「10年くらい」と設定変更したなら、その時点から、人間の寿命は「10年くらい」となるのです。

神は、「体」と「世界」の創造主なのだから、いつ何時でも、自分の思い描いた通りに、自分が望む「体」と「世界」へと、いかようにも変更可能な立場にいる。

今の人間世界にある「遺伝子組み換え技術」という中途半端で発展途上な人間科学ではなく、今の神世界にある「完全なる遺伝子操作」という確固たる神科学で、この世を形成しているのです。

神が、「動」の絵である「植物の絵」を思い描いて生み出したのであって、植物が自力で進化した訳じゃない。

植物の立場になって考えてみれば分かると思うけど、

動物たちが競って奪い取りに来る美味しい料理である果実を実らせて、

その中に動物の消化器官では消化されない種を仕込んでフンと一緒に遠方の土地へと運ばせて、

芸術家に勝るとも劣らない美しい花を咲き誇らせている存在なのに、

そんな賢い生き物が「ただ太陽の光に向かって伸びていって、あとはボンヤリと突っ立っているだけ」という退屈でつまらない生き方を選択する訳がない。

自然環境を整えるために、動物たちにエサを与えるために、人間たちに感動を与えるために植物は存在しているのであって、今現在は、果実を得るために面倒くさい取得手順になっているけど、本来は、どう考えても「すぐに手に入る」のが当たり前の手順であるはずなのです。

もちろん、神世界に住む神は、全てにおいて「最短ルート」を選択して生活している。

あなたが住んでいる世界が「欲しいものがすぐに手に入れられない世界」となっているのは、神が、あえて、「遠回りルート」を選択させて生活させているからに他ならない。

本来、リンゴを食べるために、わざわざ、種を植えて植物として育てて実がなってから収穫する「遠回りルート」を選択するメリットは、全くない。

リンゴを手に入れるために根本的に必要なのは、種と土と水ではなく、種と土と水ですらも「神」という芸術家がデザインした作品なのだから、「種の絵」と「土の絵」と「水の絵」を生み出している「原子発生装置」が大元であり必要不可欠なのであって、その「絵を生み出す装置」を操作しさえすれば、直接「リンゴの絵」を生み出すことだって可能なのです。

そう、神世界では、リンゴを食べたい時には、「リンゴ作成装置」からリンゴがどんどんと出てきて、食べ続けることが出来るようになっている。

もちろん、設定変更を行えば、「リンゴ作成装置」は「イチゴ作成装置」にもなるし、「ブドウ作成装置」にもなるし、それどころか、今、「この世に存在している物」なら何でも作成できてしまう超未来型のビックリ仰天装置なのです。

ケーキを食べたい時には、料理してケーキを作る必要はなく、フルーツケーキやチーズケーキやチョコレートケーキなどの「ケーキの完成形」が、何個でも、どんどん、「原子発生装置」から出てきて、いくらでも食べ放題なのが、神世界での日常となっている。

夢のような信じられないような装置だけど、今、あなたの目の前で「リンゴの絵」「イチゴの絵」「ブドウの絵」「フルーツケーキの絵」「チーズケーキの絵」「チョコレートケーキの絵」を実現して見せてくれているのだから、これは、100%実現可能なことなのです。

そして、もちろん、神が食べている「リンゴの絵」は、腐ったり汚れたりしないし、良好な味を保ったままで、いつまでもキレイで清潔なままであることは、言うまでもありません。

人間が食べている「リンゴの絵」が腐ったり汚れたりするのは、神世界よりも下の世界であることを知らしめるために、わざと劣化版にしてあるだけの話なのです。

でも、だからといって、神が、人間を、ないがしろにしている訳じゃなく、神は、ちゃんと、教育者の視点で、温かく見守り続けてくれている。

食べ飽きないように多種多様な果実が用意されていて、見飽きないように多種多様な美しい花が咲き乱れているのは、間違いなく、審美眼を持っている「人間のために」作っておいたからなのです。

人間が、家の柱として木材を使用したり、空気を清浄にするために観葉植物を部屋の隅に置いたり、花見の季節のために桜の花道を作ったりすることは、植物を用意した時点で、神には全て想定済みのこと。

歴史上に人類が登場する前に、人類のための植物が存在している。

よく「卵が先か、ニワトリが先か」という議論が行われているけど、これは「神の思考が先」という答えが正解で、神が無から創造したものを誰にも気付かれない所にこっそりと置いておいたり、突然変異で誕生させたりして、偶然を装った形で新たな生物は生み出されていくものなのです。

そして、神が100%の能力を発揮して作られた作品は神世界にあり、この世に存在している作品は、かなり能力をセーブして、品質をわざと落として作られている。

この世のものは、腐ったりサビたり風化したりして、わざと永遠に存続しないように設定されていて、当然あるべきはずのものが与えられていない。

人間がメンテナンスを怠ると壊れていってしまうものばかりで、桜の花見は春先の数週間しか楽しめず、楽しみは、なぜか最小限に抑えられていて、賞味期限や年齢制限など、本来、必要ないはずの制限も加えられているし、そんな、制限だらけの不自由な世界にあなたは住んでいる。

美味しい料理を食べ終わると、また手間ひまかけて作らなければいけないし、ずっと至福な状態を保ち続けたくても「お腹いっぱいになるまで」という制限すらも付いているのです。

自分で、自分の意思で、自分の体を作ったならば、絶対に、こんな、おかしなリミッターは付けないはず。

自分で選んだなら、「食べ過ぎたら不健康になる体」ではなく「いくら食べても不健康にならない体」の方を、絶対に、選択するはずなのです。

もちろん、自分で自分の体を選択できている「神の体」は、「いくら食べても不健康にならない体」となっている。

わざわざ、生き辛い方を、選びは、しないのです。

そう、この世は、神の「人間的な意思」が実現している世界だから、

地球上にいる全生物をはるか上から見ている神が全体的なバランスを考えて、

「1個体に際限なく食べさせると食糧が枯渇して困ってしまう事態になるから“お腹いっぱいになるまで”というリミッターを付けて、さらに、“食べ過ぎたら不健康になる”というペナルティーも追加しよう」という神の裁量によって「動物たちの食事量」ですらも決められている世界なのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

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預言者は「神の言葉」を預かる

本物の預言者は「神の言葉を預かる」。

未熟や語彙力不足などで招いた人間的なミスは除いて、大まかな流れにおいて、預言者たちの言葉をつなぎ合わせていくと、芸術的で壮大な神の言葉が浮かび上がってくる。

これは、人間が作り上げたものではない。

人智を、はるかに超えている。

正真正銘「神の言葉」なのです。

聖典の中でずっと語り続けて、有史以来、人類の誕生以来、いや、はるか昔にあなたの魂が誕生して以来、ずっと正しき方向へと導き続けてくれていて、時に優しく、時に厳しく、時に情熱的である神の姿は、あなたが魂の教育者の立場になった時、その真意を理解できるようになることでしょう。

人間の思考を分け隔てて「見えない壁」で区切ってあるのも、教育のため。

思ったことが相手に伝わらずにウソでごまかせたり、壁でさえぎって誰も見ていない状況を作れたりして、この世は「わざと」隠れて悪いことが出来るように設定してある。

この部分こそが、テストで最も重要な所だからです。

頭の中で思っていることが相手に伝わらなくて、言葉として発してから相手に伝わる仕組みにして、思考と言葉のどちらも閲覧可能である神が、両方を照らし合わせた正否をチェックしてテスト結果として残しておく。

それを見れば、どんな魂に育っているのかが、一目瞭然なのです。

神に対しては、一切、隠し事は出来ない。

「あなたの思考」の全てを「神の脳」が受け取ってから、「神の脳」内にある「人間の雛形」を参照する形で実現可能な部分だけ抜き出して、「神の脳」が遺伝子システムを駆使して「あなたの体」を動かしているのだから、「神の脳」の所有者である神からは「あなたの思考」は丸見えなのです。

もちろん、当たり前の話だけど、上の世界である天国、神世界へと行きたいなら、自分の心を天使にしておく必要がある。

よく「人間は天使と悪魔の両面を持っている存在で、それが自然体だから、それでいいんだ」と説く人がいるけど、それは、違う。

「人間は天使と悪魔の両面を持っている存在だ」という表現よりも「天使と悪魔の両面を持っている中途半端な魂が軽めの地獄である人間世界に人間として生まれ出てくる」という表現の方が正しくて、天使だけになった者は上の世界へと旅立っているから、その事実に気付けなかっただけの話なのです。

心がほとんど天使となった者は人間世界よりも上の世界へと旅立っていって、心がほとんど悪魔となった者は人間世界よりも下の世界へと堕ちていって、人間世界から居なくなる。

上の世界へ、下の世界へ行かなかった者が、また、人間として生まれてくるのです。

だから、善人であってもどこか善人になりきれてない部分がある善人で、悪人であってもどこか悪人になりきれてない部分がある悪人で、そんな、中途半端な魂たちが集まって住んでいるのが、「人間世界」という場所の正体なのです。

人間世界は、かなり軽めの地獄だから、それなりに楽しめる世界だけど、さらに上の世界を目指すなら、なんとか努力して、自分の中から悪魔を排除していかなければいけない。

「ちょっとした悪ふざけ」だとか、「寝坊して遅刻」だとか、笑って済まされる程度の悪事なら、神もそんなに責めずに許してくれるだろうけど、誰がどう考えてもダメな悪事は、絶対にしないように、自分の心を育てていかなければいけないのです。

ちゃんと更生できたら、神が、上の世界へと連れて行ってくれる。

神世界と人間世界の中間の存在である「天国」、神と人間の中間の存在である「天使」を書き現すのがとても難しいのだけど、神が「動」の絵である「天国の絵」と「天使の絵」を思い描いて生み出したのであれば必ず存在しているし、もちろん、神が思い描いて生み出していないのであれば、存在していない。

「天国」と「天使」が存在していない場合は、人間世界よりも上の世界は直で「神世界」となり、人間よりも上の存在は直で「神」となる。

全ては、神が決めることであり、全てが、神の「人間的な意思」によって実現していることなのであって、「神のみぞ知る」という言葉通り、神だけが全ての事実を知っている。

神が預言者に託した言葉から、少しだけ、その事実の1部分だけ推し測ることは出来る。

預言者たちは、絵空事を話していた訳じゃない。

上の世界は存在するし、そこに行くために何をするべきなのかを、ずっと人々に伝えてきた。

「人間」という生き物は、すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、本来、必要がないはずの苦しみをわざと追加されているのであって、思ったことがすぐに実現しない、欲しいものがすぐに手に入らない世界に閉じ込められている。

毎日毎日、やらなくていいはずの歯磨きとお肌のお手入れをやらされ続けて、

する必要がないはずのオシッコやウンコをすることを義務付けられていて、

ちょっと暑くなったり寒くなったり空気が薄くなったりしただけで苦しみ始めて、

食べすぎて太ったり不規則な生活をしたり運動不足だったりするだけで不健康になり、

紫外線でシミになる恐怖に脅えて、老いでシワになる恐怖に脅えて、

体力の減退、視覚や聴覚や味覚の異常、記憶力の低下、ハゲ、加齢臭、病気、ケガ、様々な恐怖に脅えながら生きている。

まるで刑務所みたいになっていて、やらなくてもいいことをやらされ続けているのは「更生プログラム」だからなのです。

更生プログラムなのだから、ちゃんと更生できさえすれば、これら全ての苦しみから解放され、上の世界へと行けるようになる。

だから、預言者たちは、「悔い改めよ、それが第1なのだぞ」と言い続けていたのです。

人間が切望している「永遠の命」は、神とならねば、意味をなさない。

「日光に当たりすぎたらシミになる」という魔法をかけているのは神であり、

「適度な運動をしないと不健康になる」という魔法をかけているのも神であり、

「人間の体は老いていく」という魔法をかけているのも神であり、

神が魔法を解いてあなたを神世界へと連れて行ってくれたなら、

あなたの体は、日光に当たりすぎてもシミにならない体となり、

運動をしなくてもずっと健康なままの体となり、

老いることなくずっと若いままの体となる。

「人間世界」で「人間の体」のままで永遠の命を与えられても、それじゃ、「地獄」で「地獄用の拘束着(体)」を着たままでずっと過ごすことになってしまい、ご褒美じゃなく罰的な意味合いになってしまう。

神科学で自由に自分が住む世界を作り直せる「神世界」へと行き、自由に何度でも自分の体を作り直せる「神の体」を得て、それから「永遠の命」を手に入れることで、はじめて、それは、価値があるものとなるのです。



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