父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

神は「最短ルート」を選択している

あなたは、神が作成した自動的に進行する教育プログラムの中で生きている。

神が設定変更を行えば、あなたが常識だと思っていたことは一瞬でくつがえされることになり、「この世」とは全く異なる設定になっている「上の世界」へ行けば、今、あなたが住んでいる世界の常識は非常識となり、非常識が常識となる。

もちろん、「人間的な意思」が関与している法則だけに限った話だけど、その法則ならば、神は、どのようにでも変更可能なのです。

土を耕して植物の種を植えて、肥料と水を与え続けて成長させて、何年も辛抱強く待って、やっと、美味しい果実が手に入る。

あなたはこれを「常識」だと思っているけど、これも1つの設定であり、完成品である果実がポンと手に入る世界にすることだって、神には可能なことなのです。

大事に育てることの大切さを学ばせるために、色々な知識を学ばせるために、植物の成長過程をわざと複雑にしてある。

学び終わったら、すぐに果実が手に入る世界へと移行することになるのです。

リンゴを種から育てて実を得るためには、普通、約10年くらいかかる。

その「約10年」という期間は、神がそう決めたからそうなっているだけの話で、もし、神が「約1ヶ月」と設定変更したなら、その時点から、「約1ヶ月」でリンゴの実を手に入れることが出来るようになる。

もちろん、「100年くらい」という人間の寿命も例外ではなく、神が「10年くらい」と設定変更したなら、その時点から、人間の寿命は「10年くらい」となるのです。

神は、「体」と「世界」の創造主なのだから、いつ何時でも、自分の思い描いた通りに、自分が望む「体」と「世界」へと、いかようにも変更可能な立場にいる。

今の人間世界にある「遺伝子組み換え技術」という中途半端で発展途上な人間科学ではなく、今の神世界にある「完全なる遺伝子操作」という確固たる神科学で、この世を形成しているのです。

神が、「動」の絵である「植物の絵」を思い描いて生み出したのであって、植物が自力で進化した訳じゃない。

植物の立場になって考えてみれば分かると思うけど、

動物たちが競って奪い取りに来る美味しい料理である果実を実らせて、

その中に動物の消化器官では消化されない種を仕込んでフンと一緒に遠方の土地へと運ばせて、

芸術家に勝るとも劣らない美しい花を咲き誇らせている存在なのに、

そんな賢い生き物が「ただ太陽の光に向かって伸びていって、あとはボンヤリと突っ立っているだけ」という退屈でつまらない生き方を選択する訳がない。

自然環境を整えるために、動物たちにエサを与えるために、人間たちに感動を与えるために植物は存在しているのであって、今現在は、果実を得るために面倒くさい取得手順になっているけど、本来は、どう考えても「すぐに手に入る」のが当たり前の手順であるはずなのです。

もちろん、神世界に住む神は、全てにおいて「最短ルート」を選択して生活している。

あなたが住んでいる世界が「欲しいものがすぐに手に入れられない世界」となっているのは、神が、あえて、「遠回りルート」を選択させて生活させているからに他ならない。

本来、リンゴを食べるために、わざわざ、種を植えて植物として育てて実がなってから収穫する「遠回りルート」を選択するメリットは、全くない。

リンゴを手に入れるために根本的に必要なのは、種と土と水ではなく、種と土と水ですらも「神」という芸術家がデザインした作品なのだから、「種の絵」と「土の絵」と「水の絵」を生み出している「原子発生装置」が大元であり必要不可欠なのであって、その「絵を生み出す装置」を操作しさえすれば、直接「リンゴの絵」を生み出すことだって可能なのです。

そう、神世界では、リンゴを食べたい時には、「リンゴ作成装置」からリンゴがどんどんと出てきて、食べ続けることが出来るようになっている。

もちろん、設定変更を行えば、「リンゴ作成装置」は「イチゴ作成装置」にもなるし、「ブドウ作成装置」にもなるし、それどころか、今、「この世に存在している物」なら何でも作成できてしまう超未来型のビックリ仰天装置なのです。

ケーキを食べたい時には、料理してケーキを作る必要はなく、フルーツケーキやチーズケーキやチョコレートケーキなどの「ケーキの完成形」が、何個でも、どんどん、「原子発生装置」から出てきて、いくらでも食べ放題なのが、神世界での日常となっている。

夢のような信じられないような装置だけど、今、あなたの目の前で「リンゴの絵」「イチゴの絵」「ブドウの絵」「フルーツケーキの絵」「チーズケーキの絵」「チョコレートケーキの絵」を実現して見せてくれているのだから、これは、100%実現可能なことなのです。

そして、もちろん、神が食べている「リンゴの絵」は、腐ったり汚れたりしないし、良好な味を保ったままで、いつまでもキレイで清潔なままであることは、言うまでもありません。

人間が食べている「リンゴの絵」が腐ったり汚れたりするのは、神世界よりも下の世界であることを知らしめるために、わざと劣化版にしてあるだけの話なのです。

でも、だからといって、神が、人間を、ないがしろにしている訳じゃなく、神は、ちゃんと、教育者の視点で、温かく見守り続けてくれている。

食べ飽きないように多種多様な果実が用意されていて、見飽きないように多種多様な美しい花が咲き乱れているのは、間違いなく、審美眼を持っている「人間のために」作っておいたからなのです。

人間が、家の柱として木材を使用したり、空気を清浄にするために観葉植物を部屋の隅に置いたり、花見の季節のために桜の花道を作ったりすることは、植物を用意した時点で、神には全て想定済みのこと。

歴史上に人類が登場する前に、人類のための植物が存在している。

よく「卵が先か、ニワトリが先か」という議論が行われているけど、これは「神の思考が先」という答えが正解で、神が無から創造したものを誰にも気付かれない所にこっそりと置いておいたり、突然変異で誕生させたりして、偶然を装った形で新たな生物は生み出されていくものなのです。

そして、神が100%の能力を発揮して作られた作品は神世界にあり、この世に存在している作品は、かなり能力をセーブして、品質をわざと落として作られている。

この世のものは、腐ったりサビたり風化したりして、わざと永遠に存続しないように設定されていて、当然あるべきはずのものが与えられていない。

人間がメンテナンスを怠ると壊れていってしまうものばかりで、桜の花見は春先の数週間しか楽しめず、楽しみは、なぜか最小限に抑えられていて、賞味期限や年齢制限など、本来、必要ないはずの制限も加えられているし、そんな、制限だらけの不自由な世界にあなたは住んでいる。

美味しい料理を食べ終わると、また手間ひまかけて作らなければいけないし、ずっと至福な状態を保ち続けたくても「お腹いっぱいになるまで」という制限すらも付いているのです。

自分で、自分の意思で、自分の体を作ったならば、絶対に、こんな、おかしなリミッターは付けないはず。

自分で選んだなら、「食べ過ぎたら不健康になる体」ではなく「いくら食べても不健康にならない体」の方を、絶対に、選択するはずなのです。

もちろん、自分で自分の体を選択できている「神の体」は、「いくら食べても不健康にならない体」となっている。

わざわざ、生き辛い方を、選びは、しないのです。

そう、この世は、神の「人間的な意思」が実現している世界だから、

地球上にいる全生物をはるか上から見ている神が全体的なバランスを考えて、

「1個体に際限なく食べさせると食糧が枯渇して困ってしまう事態になるから“お腹いっぱいになるまで”というリミッターを付けて、さらに、“食べ過ぎたら不健康になる”というペナルティーも追加しよう」という神の裁量によって「動物たちの食事量」ですらも決められている世界なのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)