父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

神が全部で人間は一部

遺伝子技術は、人間世界での現状みたいに「これから遺伝子の仕組みがどんどんと解明されていくだろう」という「発展途上な技術」ではなく、神世界では、「確固たる技術」として明確に確立されていて、「遺伝子技術の使用法」というマニュアルも存在していて、完璧に遺伝子の仕組みは解明されている。
というか、「神が遺伝子システムを作った」のだから、解明する必要はなく、ただ、自分達が作った遺伝子システムの概要を書き現してマニュアル化しているだけなのだ。
「ハゲになりたい」と思っている人間はほとんど皆無だろうから、「ハゲは嫌だ」「ハゲは嫌だ」と言いながらハゲていく人間が多数いる時点で、「人間の思いが実現して毛が生えているのではない」ことは明らかで、神が「まゆ毛があった方が汗が目に入りにくいだろう」「まゆ毛があった方が喜怒哀楽をより上手く表現できるだろう」と思ったから、人間の顔にまゆ毛が付いて残っている。
美男美女も、遺伝子的に派生した神作品の1つで、「高嶺の花」みたいな存在とするために、あえて少しだけ存在させているのであって、美男美女じゃない人もいた方が人間世界をもっと深みがある世界にすることが出来るだろうから、様々な顔や様々な体型の人間を存在させている。
神の采配が元になって、人間世界は、形成されていっているのだ。
人間がピアノを発明する前から、神世界には、今の人間世界にある最高級のピアノ以上のピアノが存在している。
だからこそ、人間がピアノを演奏する未来を見通して、前もって、人間の体を「ピアノを上手に弾ける体」にしておいてくれたのだ。
人間の体には、神からの「~してあげよう」という気持ちが込められている。
ピアノの演奏家を目指す人のために、手の指を訓練したら1本1本それぞれを器用に動かせるようにしておいてあげよう。
歌手を目指す人のために、様々な音色で歌える声帯にしておいてあげよう。
人間の体だけじゃなく、風景にも思いが込められていて、画家を目指す人のために、山々の新緑や紅葉、変幻自在に変化する雲、などなど、様々な画材をさりげなく用意してくれている。
「海岸線に沈みゆく夕日」と「愛くるしい猫」なんかは、この世における神作品の「キレイ」と「かわいい」の最高傑作で、人間が作った映画やマンガやアニメの名作は、神がデザインした画材を元にして、それから独自性を加えて仕上がっているのであって、神あってこその名作なのだ。
この世に元々からある美は、全て、神がデザインした美だ。
そして、「人間が何を見たら美しいと感じるのか」も考慮した上で、美しい光景を存在させてくれている。
人間が思っている以上に、神は、人間に対して、色々と配慮して、良い結果になるように導いてくれているのだ。
「神の目」は、人間目線で風景を見ることが出来るし、鳥目線で見ることが出来るし、イルカ目線で見ることも出来る。
いかようにも調整可能で、見方を変更できる便利な目なのだ。
だからこそ、人間だけじゃなく、「鳥の視点」「イルカの視点」から見ても最適な風景になるように、この世は作られている。
神の実力は、人間の予想を、はるかに上回る。
人間みたいに、イルカのことを「一部」だけ分かっている程度の知識ではなく、神は、イルカのことを「全部」分かっている。
そりゃ、そうだ、「イルカの体」をデザインしたのも神なのだから、イルカの全てを知り尽くしている存在なのだ。
「神の耳」は、「人間の耳」よりも、はるかに高性能で、人間の可聴周波数はもちろんのこと、コウモリが喉から発する超音波ですらも、ちゃんと聞き取ることが出来る。
コウモリが、その超音波を利用して、はね返った超音波を聞き取って障害物を避けたりする「エコーロケーション」と呼ばれている飛行手段も、神は、完璧に頭で理解できている。
というか、そもそも、エコーロケーションというシステムを発明したのは神であり、神からの指示通りにコウモリはエコーロケーションを使用して生きているだけなのだ。
人間は、犬が吠えて何を言っているのかの「一部」を知っているけど、神は「全部」を知っている。
鳥達が鳴いて何を言っているのかも全て分かっているし、イルカ達がピーピーと何を会話しているのかも全て分かっている。
そして、もちろん、今、人間達が話している言葉の全てを完全に掌握して理解できているし、「声帯を振動させたらどのような歌声になるのか」も、全てが神の想定内の出来事なのだ。
神が人間に与えた声帯は、「1つの型」にすぎない。
「声帯を考案して生み出して与えている側」である神が住んでいる神世界には、人間の声帯以上の声帯が無数に存在していて、人間世界よりも、はるかに画期的な音楽で満ち溢れている。
神世界では、膨大な数の型によって音楽が奏でられていて、人間世界とは比べ物にならないくらいに、豊富で多種多様な演奏が壮大に行われている。
人間世界の音楽も素晴らしいけど、それを、はるかに超えた極上の音楽が、神世界にあるのだ。
人間以外の動物が奏でる様々な音色も、神あってこその、功績だ。
神が人間とシンクロして色々と手引きしてくれているように、スズメとシンクロして「チュンチュン」と鳴くように誘導したのは、神なのだ。
犬が「ワンワン」と鳴き、猫が「ニャーン」と鳴き、ゾウが「パオーン」と鳴いているのは、全て、神が定めた鳴き方で、宇宙の創造主である神は、宇宙内にいる生き物なら、どんな生き物に対してもシンクロして未来を誘導することが出来る。
その結果が、ウグイスのオスがメスに求愛する時に「ホーホケキョ」と鳴く今現在なのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

すぐに行ける場所に神世界はある

神世界と人間世界は、離れているようで繋がっていて、遠いようで近くに存在していて、神が手を差し伸べれば、すぐにでも行ける場所に、神世界はある。
神の脳は「神世界」にあり、人間の体は「この世」にあり、神の脳が人間の体を実体化しているのだから、「神世界」と「この世」はリンクしているのだ。
「自動車」のデザインは人間がしたもので、「人間の体」のデザインは神がしたもので、「自動車」のメンテナンスは主に人間が行っていて、「人間の体」のメンテナンスは主に神が行っている。
「一時期にちょっとだけ介入した」というレベルではなく、常に、いつの世も、少しずつモデルチェンジが行われていて、神が、「機械や道具などをもっと上手く扱えるように手足をもっと器用に動かせるようにしてあげよう」「フィギュアスケートや新体操やバレエなどの表現系スポーツをする未来のために優雅さやしなやかさをもっと上手く表現できる体にしてあげよう」という風に色々と考えて、時代に合わせてモデルチェンジしてきた結果が、今ある人間の姿なのだ。
サルやゴリラがフィギュアスケートをしたとしても、人間みたいに上手く体で表現できない。
神が、人間に対して「体で表現すること」を大切だと思って重要視しているからこそ、「人間の体」は繊細な体となっていて、「動き」や「姿勢」や「表情」で感情を上手く表現できる体になっているのだ。
「神の存在」を信じられない人間がいるのは、「神」が見えないからで、「神の技」が見えないからで、ただ、それだけの理由にすぎず、それは、「神の目」と比べたら「人間の目」の性能が低すぎるから見えないのであって、「人間の五感」だけじゃ足りないから感じ取れないのであって、「神の目」と「神の感覚」を得たら、はっきりと「神の技」を理解できうる存在になれる。
「神」と「神の技」は、あやふやで、ぼんやりとした存在ではなく、明確に、はっきりと存在している。
神世界にある「神の脳」から「人間の雛形」を射出して、この世に「人間の姿」を投影させている。
それは遺伝子を駆使して行われていて、その手法は、神世界では「技術」として明確に確立されている。
人間にも、ちょっとだけ遺伝子をイジれる形にしてあるけど、もちろん、神は、全ての遺伝子設定をイジれる存在なのだ。
自分の顔が気に入らなくて「遺伝で決まっているからしょうがない」とあきらめ顔でいる人が沢山いるけど、「じゃあ、誰が遺伝で決めたんだ?」って話で、神が遺伝で決めたから、そのような顔になっている。
今の人間がやっている「遺伝子組み換え技術」みたいに「組み換える」のではなくて、「遺伝子設定の全てを自分で選択できる」というのが本来あるべき姿で、もちろん、「遺伝子システムの考案者」である神は、それが当たり前に出来ている。
神が作った世界である「この世」では、常に、神は「全て出来る」存在であり、人間は「一部だけ出来る」存在であり、これから先、人間が研究に研究を重ねて、議論の末に辿り着く終着点は、「全てが神の掌中だった」という結論だ。
「人間が自動車を作った」という事実が信じられるのは、実際に「自動車を作っている作業工程」を目で確認できるからで、「自動車の作り方」というマニュアルを読んで頭で理解できるからで、「神が地球を作った」という事実が信じられないのは、「地球を作っている作業工程」を目で確認できていないからで、「地球の作り方」というマニュアルが人間世界に存在していないから、なのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

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私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

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2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

体の進化はモデルチェンジ

トヨタ自動車カローラが昔と今で全然ボディーの形が違うことに疑問を持った子供から「なんで今のカローラと昔のカローラじゃ形が全く違うの?」と尋ねられて「ああ、それはね、環境に適応するために車が勝手にボディーを変形させたんだよ」「私たち人間は何もしていないんだよ」と答える馬鹿な大人はいない。
そんな馬鹿みたいな発言を平気でしてしまっているのが今の人間で、「神の存在」を抜きにして語るから矛盾が生じてしまっていて、子供からの「なんで人間の体は昔と今で違うの?」という問いに対して「ああ、それはね、環境に適応するために自分の体が勝手に変化したんだよ」なんて言ってしまっている。
「じゃあ、一体、誰が見た目の美しさをデザインしたんだ?」って話で、「そんなに都合よく簡単に高性能な体を入手できる訳がないでしょ!」って話で、もちろん、神がデザインしたからそうなっているのであって、昔と今で体の形が違うのは、時代に合わせて「モデルチェンジ」しただけの話なのだ。
「何もしていないのに体が勝手に出来上がったんだ」なんて夢みたいな話は、マンガやアニメの世界での話で、そんなに簡単に出来上がるほど「人間の体の仕組み」は簡単ではない。
神が頭で考えに考え抜いて生み出したから、ふんだんに神技術が使用された「人間の体」という精巧絶妙な芸術作品が存在しているのだ。
人間が、自分が望む姿へと自分の体を進化させてきたなら、今頃の人間世界は「美男美女だらけの世界」になっているはずだから、人間の願望通りに体が進化してきた訳じゃない。
車のモデルチェンジみたいに、デザイナーである神の意向で、今の人間の体は、そう、なっているのだ。
そして、人間の体は、ちょっと特殊なモデルでもある。
人間以外の動物は、「自然環境に適応する形」へとモデルチェンジされてきた感じだけど、人間は、「高度な文明に適応する形」へとモデルチェンジされてきた感じだ。
はるか昔、まだ人間が高度なスポーツをしていなかった頃から、「人間が野球やバスケットボールやテニスなどのスポーツをする未来」と「人間の体の未来」の両方を見通せている神が、両方を同時進行で進化させてきた。
もちろん、これは、「はるか先の未来を見通す目」を持っている神だからこそ成し得た芸当で、人間が、整髪料やリボンなどを使って「リーゼント」や「七三分け」や「ポニーテール」などの色々な髪型で過ごす未来を見通した上で、人間の頭に適量な髪の毛を残しておいたのだ。
神の予測は、常に、人間の予測のはるか上をいっている。
全ては、未来を見通せている神の采配で、神が思い描いた通りに、人間は過ごしているにすぎない存在なのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

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決定権は神にある

人間が切望している「長生きしたい」「ずっと若い頃の体力のままでいたい」という願望を叶えることは、難しいことじゃない。
むしろ、自分の体に寿命を設けて老いさせていくことの方がシステム的に難しいことなのであって、あえて、わざわざ、難しいことの方を強制的に選択させられた状態で生きているのが、今の人間なのだ。
もちろん、神は、永遠に生きているし、体力もずっと最高状態のままで生きている。
普通に考えれば「生きるために必要なエネルギーを取得し続けることさえ出来れば、ずっと、最高な状態のままで生きられる」というのが、当然あるべき姿であるはずなのだ。
人間は、「鳥カゴの中の鳥」状態だから、当然あるべき姿が与えられていない。
魚は、水中で泳ぎやすくするために体を変更した。
鳥は、空を飛びやすくするために体を変更した。
サルは、木登りを上手に出来るように体を変更した。
こんな風に、自由自在に自分の体を変更できるのなら、「こんな顔は嫌だ」「こんな体型は嫌だ」「ハゲは嫌だ」と嘆き続ける「人間」という悲しき生き物が、存在する訳がないのだ。
「一体、誰の願望が実現しているんだ?」って話で、魚の「上手く泳ぎたい」という願望が実現して上手く泳げる体になったのならば、人間の「美男美女になりたい」という願望も実現して、今頃の人間世界は「美男美女だらけの世界」になっているはずで、そうなっていないのは、どう考えても、おかしくて、「神の願望が実現している」から、神が決定した通りの世界となっている。
神が、人間世界を「美男美女だらけの世界」にすることを望まなかったから、そうなっていないだけの話で、人間以外にも同じことが言えて、神が、「人間の寿命は100年くらい」「犬の寿命は10年くらい」と決めたから、そうなっているだけの話なのだ。
生き物の種類ごとに、やるべき未来の行動を見通して、「サルが木に登る時に頭に大きな角があったら邪魔だろう」「人間がサッカーやラグビーなどのスポーツをしたり自動車や満員電車などの狭い空間に搭乗したりする時に頭に大きな角があったら邪魔だろう」「人間が家を建築したり精巧な機械を作ったりスポーツをしたりする時に器用な手足が必要だろう」、などなど、神が色々と考えた上で、体の仕組みは、神によって決定されているのだ。
まず、神が頭の中で「完成形」を考えて、それから、その完成形へと到るための「設計図」が作られている。
もちろん、神世界にある「神科学」という超高等テクニックが、その作業を実現可能としているのだ。
神が、神科学で「体を扱う」という作業を簡易化して強力にサポートしてくれているから、あなたは、見て、聞いて、においを感じて、味を感じて、しゃべることが出来ている。
本来、それらの行為は簡単に出来ることではなく、今、あなたが所有している科学力では絶対に実現できないことなのだ。
あなたが、テレビを見たり、ラジオを聞いたり出来ているのも、神のサポートありきで、やっと、実現できていること。
人間の子供が親から与えられた「積み木のオモチャ」で遊んでいるように、その積み木は元々からあるものではなく、大人が技術力を駆使して用意してくれたものなのであって、同じく、「積み木」である「原子」は、自然に発生した元々からあるものではなく、神が技術力を駆使して用意してくれたものなのだ。
普通に考えれば、「色々な物を作りやすい材料として」約100種類もの原子が理路整然と存在している訳がない。
それらは、神が、「人間の知能レベルでも簡単に発明品を生み出せるように」用意してくれたものなのであって、だからこそ、人間は、テレビやラジオなどの発明品を簡単に生み出すことが出来たのだ。



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人生は神が創設した学校

覚醒者の1部で「人間の脳の奥底であり、いわゆる、深層心理、潜在意識、無意識と呼ばれている部分では、みんな、つながっている」という「真理」まで辿り着いている人がいるけど、あとは、その、つながっている先の集合場所は「神の脳」であり、その脳の所有者である神は、「人間の知能レベルをはるかに超越した知的生命体である」という「究極の真理」が手招きして待ち構えている。
これは、絵空事ではなく、むしろ、「カブトムシのオスには角が生えていてメスには生えていない」という事の方が絵空事で、人間のオスの下半身に角が生えていて、メスには生えていないのも同じことで、角は、ただ、神という芸術家によってデザインされた1つの作品にすぎない。
人間のオスの頭に角が生えていないのは、神が「頭に角がない方がデザイン的にいいかな」と思ったから角を付けていないだけで、そこに必然性はなく、鹿のオスの頭に立派な角が生えているのも「鹿という生き物には角を生やした方がより魅力的になりそうだ」と神が思ったから角が付いてるだけの話なのだ。
人間が「神」という存在を空想して作り上げたのではなくて、神が「人間」という存在を空想して作り上げたのであって、神世界が「現実世界」であり、人間世界は「空想世界」、ということになる。
今の人間の寿命が100年くらいなのは「今の人間社会で色々と学ぶためにはだいたい100年くらいが最適かな」という感じで神が決めたことなのであって、人間が自分達で「100年くらいで死ぬことを決めた」という話は聞いたことがないし無理があるだろうから、「神が決めている」と考えるのが一番しっくりくる結論で、「100才くらいになっても若い頃の体力のままで突然死ぬ」という風にしてもいい訳だから、老いたら体力を衰えさせているのは「教育的な意味合いが強いから」、ということになる。
人間が老いていくのは、神が「老化の術」という神技術で老いさせているだけで、神が「老化の術」を解除すれば、今すぐにでも、あなたは「永遠の若さ」を手に入れることが出来る。
すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、わざと、苦しみが与えられているだけの話で、人間に与えられている苦しみのほとんどは「教育のため」、ということになる。
人生の終盤に弱い立場となって、「やりたくても出来ない人」の気持ちを痛感して、その体験を経て弱者に対して優しくなれるように、わざと、若い頃に当たり前に持っていたものを失ってから死ぬようになっているのだ。
「人生」を「学校」だと例えるなら、「死」は「卒業」という感じで、卒業できなかった者は、もう一度、学び直すために「人生」という学校に入学する、という感じだ。
自分から進んで苦しみの中に飛び込んでいく人間はほとんどいないだろうから、強制的に苦しみを体験させる必要性も出てきて、それは、苦しむことで苦しんでいる人の気持ちを思いやれるように成長させるために、神が、あえて課している課題なのだ。
子供の頃に味わう苦しみ、大人になって味わう苦しみ、老人になって味わう苦しみ、それぞれの立場で様々な苦しみを体験させるために、人間の体は、「子供の体」「大人の体」「老人の体」という風に神の手によって強制的に固定化されている。
もちろん、神が「体の固定化」を解除すれば、今すぐにでも、あなたは「自分が望む姿へと自由に変更できる体」を手に入れることが出来るのだ。
そういった理由以外でも必要性があって、苦しみがあるから、苦しみを軽減しようとして様々な発明品が生み出されるし、苦しみがないと怠けてしまって「色々と学ぼう」という衝動が薄れてしまうから尻を叩く感じで与えられている苦しみもある。
食べないと死んでしまうから食べるために行動するし、健康のために運動が必須となっているし、虫歯にならないために歯磨きをする必要があるし、何もせずに放っておくと体が汚くなったり臭くなったりするから風呂に入って体を洗う必要があるし、毎日の体の管理を義務付けるために、あえて、管理を怠ると苦しみを与える体となっているのだ。
今の人間は、当たり前に出来るはずのことが当たり前に出来ていなくて、自分で体を選んだなら、作ったなら、絶対に、こんな不自由な体には、なってないはずで、「人間の限界」を超えようとすると、必ず、ストッパーが働いて、それ以上、行かせなくする不思議な力が自由を阻んでいて、それは、その自由を奪っている鳥カゴは、神が作ったカゴで、カゴから解放されれば、自由に空を飛べるようになる。
人が争って手に入れようとしているものは、馬の鼻先のニンジンみたいなもので、ニンジン以上の美味しいものが人間世界にいっぱいあるように、人間世界にある以上の極上品が、神世界にいっぱいある。
そして、もちろん、ニンジンがなくても神世界へと向かって走れるようになるのが、最も好ましいことなのだ。



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神から人間への伝達手段(シンクロ)

「いいアイデアが思いついた、これは絶対書かねば」と思って書いている。
そう、書いている本人ですら「神によって書かされた」ということに気付いてすらいないのだ。
神は、全く違和感を与えることなく、息をするごとく、ごくごく自然な流れで人間にアイデアを渡すことが出来る。
書いている最中は、全く疑うことなく「100%自分が思いついて書いている」と人間が錯覚させられるほど、神は、見事に人間と同化して書かせているのだ。
言葉で「あ~だ、こ~だ」言う必要はなく、人間は「神の体の1部分」なのだから、自分の手足を動かすかのように、そっと優しく手助けをする感じで、アイデアという形の閃きを与えてくれている。
書いた後に「あれ?これは、自分が書いたにしては完成度が高すぎるな、誰かに書かされたのかも」と気付くことはあっても、書いている途中で気付けることは、まず、ありえない。
それ程まで完璧に、神は、人間とシンクロすることが可能だ。
だから、いちいち、しゃべって伝える必要なんて、ないのだ。
文章や言葉だけじゃなく、パフォーマンスにおいても、同じことが言える。
人々の想いが神に通じたかのように奇跡的な神懸った結果が生じるのは、その言葉通り、神がさりげなくサポートしてくれているからなのであって、過去に各分野トップクラスの人達が起こした奇跡を振り返って、じっくり考えてみれば、そのことに気付けるはずだ。
人間が神の存在に気付くのは、いつも、終わった後だ。
神が、わざと気付かせた場合を除くと、神は、人間からの感知に対して、完璧に隠れた状態でサポートを行えるから、途中では気付けないのだ。
そう、「神の技」は、「人間の五感」では、ハッキリと認識することは出来ない。
神が、今の人間に与えている5感以上の感覚を「人間の体」に付与しない限り、未来永劫、人間が自力で「神の技」を解明できる日は、やって来ない。
それ程までに、神の技は、凄すぎるのだ。
神が、宇宙を作ったことは確かだ。
しかし、「人間の体」のままでは、いつまでたっても「宇宙の作り方」を理解することは、出来ない。
人間が作った「家」と「蛍光灯」をサルの頭では作れないように、神が作った「地球」と「太陽」を人間の頭では作れない。
理由は、「知能レベルが違いすぎるから」であり、そして、もう1つ、「理解できるだけの感覚が足りていない」という理由もある。
人間の目で「神の作品」である「地球」や「太陽」を見ることは出来るけど、「作っている過程」を見るためには、人間の五感以上の感覚である「神の感覚」が不可欠なのだ。
第6感、7感、8感、9感……という風に「人間が持っていない感覚」が存在しているし、「神の視覚」と「人間の視覚」では、ズバ抜けて「神の視覚」の方が性能的に上であるから、人間は、「神の技」を完全に理解できない。
もちろん、神は、明確に、鮮明に、ハッキリと理解できている。
だからこそ、地球を、太陽を、自分が考案した設計図通りに見事に具現化することが出来ているのだ。



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神は「偉大なる先生」

神は、原子を作ることにしました。
「そうだな、番号付けしておいた方が、後々、分別しやすくて便利かな」と陽子の数で番号付けすることにしました。
最初に作った水素には1個の陽子を入れておき、2番目に作ったヘリウムには2個の陽子を入れておき、作るのに夢中になってると、いつのまにか、100個以上もの原子が出来上がりました。
「よ~し、これで、凝った作品がつくれるぞ」と意気込んで、最初に作る予定だった太陽を作ってみました。
「うん、うん、だいたい思い通りに作れた、今度は地球だな」と素材(原子)の含有率を変更して生き物が住める大地を作りました。
「う~ん、昼と夜があった方がいいかな」と地球を自転させ、「四季も作ろう」と太陽の周りをグルグル回るように地球を公転させることにしました。
「そうだな、昼に太陽、夜に月が昇ったら風情があるし、潮の満ち引きも作りたいから」と月も追加しました。
「晴れと曇りと雨もあった方がいいかな」と海水が蒸発して雲となり大地へと降り注いで川となって海へと戻っていく循環システムも追加しました。
こういう風に、試行錯誤して作られていったのが、地球なのだ。
人間がパレットに違う色の絵の具を用意して、それを塗って絵を完成させていくように、違う性質の原子を用意して、それを組み合わせて地球を完成させた、ということになる。
原子の原子核の中に入ってる「陽子」は、番号付け。
そして、「遺伝子」は、メモ帳。
要するに、人間がやってる「番号付けする」「メモ書きする」という行為を、人間よりもオシャレにやってるだけの話。
「コンピューター的な処理がしやすい形にしてある」という表現の方が的確かもしれないけど、いずれにせよ、神世界においては、日常的に使われているお手軽な手法なのだ。
原子は原子核の中に入っている陽子の数で性質が変わってくる。
陽子が1個だけ入っているなら水素の性質となり、2個入ってるならヘリウムの性質となる。
原子番号」というのは「陽子の数」とイコールで、1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11……とキレイに順番に並んでいる。
「1番目に作った原子にはこういう性質を付加しよう」「2番目に作った原子にはこういう性質を付加しよう」という「人間的な意思」が働いているのは、間違いない。
そう、神が、原子を、1個1個、作った順番に、思いついた性質を付加させていっただけの話なのだ。
(原子番号)1番目が水素。
2番目がヘリウムで太陽で発見されたもの。
3番目以降は、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ネオン、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、ケイ素、リン、……
太陽の光球の組成は水素が73%で、ヘリウムが25%で、酸素が0.8%で、炭素が0.3%で、あと、鉄とネオンと窒素とケイ素とマグネシウムが約0.1%くらいで、……
地球の大気中は窒素が78%で、酸素が21%で、アルゴンが0.9%で、二酸化酸素が0.04%で、……
地球の地殻中は酸素が47%で、ケイ素が28%で、アルミニウムが8%で、鉄が5%で、カルシウムが4%で、ナトリウムが3%で、カリウムが3%で、マグネシウムが2%で、……
まず神が「欲しい」と思ったのが水素とヘリウム。
原子番号の並びから「まず恒星(太陽)を作ろう」という意思が読み取れる。
暗闇に火を灯すために太陽を作って、それから、生き物たちの住処を用意するために、ちょうどいい光と温度が届く位置に地球を作った、ということになる。
実際には同時進行で作られたかもしれないけど、神が頭の中で考えた「設計図の順番」は、そういうことになる。
地球以外の太陽系の惑星はアクセサリー的な意味合いもあって、「誰かによって作られた世界だ」ということを隠す目的もあり、ついでに太陽の周りを回らせている感じだ。
「誰かによって作られた世界に住んでいる」と分かると嫌な気分になるかもしれないし、「世界の仕組みを解明しよう」という勉強意欲がそがれてしまうかもしれないし、だからこそ、隠してあるのだ。
同じ理由で、宇宙も、わざと、広大に作ってある。
テレビゲームをやっていて、テレビ画面内にいる人型キャラが「こんなに広いマップを誰かが作ったなんて信じられない」と言っているのと同じ状況で、実際には、プログラマーからしてみたら、いくらでも広いマップは作れるし、テレビを外側から見ている人間にとっては、テレビというのは、そんなに大きいものでもない。
「作られた側」である人間から見たら、宇宙は、とてつもなく膨大で計り知れない存在だけど、「作った側」である神から見たら、宇宙は、完璧に理解して掌握できている存在なのだ。
そう、宇宙の外側から見たら、宇宙は、そんなに広大ではない。
内側から見ているから、広大に見えるだけなのだ。
テレビゲームのマップ上で「街と街の距離」を決めたのは人間(プログラマー)であり、宇宙のマップ上で「惑星(地球)と惑星(火星)の距離」を決めたのは神(プログラマー)、ということになる。
プログラマーが、そう、決めただけの話で、マップ上に居る者にとっては、「街と街の距離」「惑星と惑星の距離」は遠く感じるけど、プログラマーにとっては、マップ上のどこであっても「すぐ近くに存在している」、ということになる。
そして、もちろん、プログラマーである神は、宇宙のどこであっても、簡単に見ることが出来て、簡単に手直しが出来る存在なのだ。
この世は「教育者」である神の意向が反映されている世界。
そして、「神の叡智」は「人間の知恵」をはるかに超越していて、だからこそ、人間が作った陳腐な教科書をはるかに超越した「宇宙」という超未来型の教科書を作り上げてしまった、ということなのだ。
宇宙は神が創った芸術作品であり、「教育」を最大の目標として作られた世界だから、宇宙全体が「教科書」みたいになっていて、どこを見ても何かを学べるようになっている。
人間は、物凄く有難い授業を「無償で」受けているのだ。
大自然を見ているだけで美的なデザインセンスが磨けて、まさに、それは、人間がやってる「美術の授業」と同じで、先生が手本となる絵を描いて、生徒が上手に絵を描けるように導いてくれているのだ。
「図画工作」の授業のために、あらかじめ、「木」や「鉄」などを神が用意してくれていて、生徒(人間)は先生(神)の指示通りに「柱」と「釘」を作って家を完成させていく。
神は、見返りを求めない無償の愛で、閃きという形で人間にヒントを与え、さりげなく正解の方へと導いて、ずっと温かく見守り続けてくれているのだ。
心の大切さを教える時期が来たら預言者を通して「神の教え」を伝え、それが、今現在の「道徳」の教科書となっている。
神は、人間に対して、全ての分野で先生となりえる。
宇宙内のことなら、神は、何でも知っている。
まさに、全ての知識に精通している「偉大なる先生」なのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

人間は神から多大な恩恵を受けている

1つの宇宙を服(体)として所有している神が、人間の住む地球に生まれ出ることはなく、人間の感覚を味わいたい時は、服(体)を重ね着する要領で「体の一部」を人間の感覚を味わえるように変更して味わい、人間に「神の言葉」を伝える時は、人間用の波長に合わせてシンクロして伝える。
服の素材(原子)を発明したのも神であり、その素材で「何が作れるのか」の完成形をも考え尽くしていて、その中の1つが「人間の体」なのだ。
あなたの体は、「死ぬまで」という期間限定で神が貸し与えている体であり、自力で進化して手に入れた体ではなく、神がデザインして作り上げた体、ということになる。
もちろん、「人間の五感」も神が付与したもので、神が「今の人間には5つ感覚を与える」と決めたから、「5つ」となっているだけの話なのだ。
「見る」という行為だけでも、とてつもなく高度な技術力が必要で、神が神世界の神技術で強力にサポートしてくれているから、難なく、あなたは、今、簡単に「見る」ことが出来ている。
あなたの体は「あって当たり前なもの」ではなくて、神が無償で与え続けてくれている体で、だからこそ、今のあなたの技術力以上の体を、未来を先取る形で手に入れることが出来ている。
人間の目は、今の人間の科学力では絶対に作れない「身分不相応な目」で、神がいない世界へとあなたが行けば失ってしまう「神科学に完全依存している目」なのだ。
あなたの目は神がデザインした目であり、あなたが目で見ている映像は「神が映像化している」映像なのだから、あなたは、常に、神と繋がっている、ということになる。
「見る」という行為だけでも、あなたは、神から多大な恩恵を受けながら生きているのだ。
目耳鼻口、美しい大自然、鈴虫が奏でる音色、花の香り、美味しい果実、これら全てを神が与え続けてくれているから、あなたは、見て、聞いて、匂いを感じて、味を感じることが出来ている。
神に対して文句がある人間は、まず、神が与えてくれている目耳鼻口を神に返してから、文句を言えばいい。
いや、その「言うこと」ですらも、神がいなくなれば、出来なくなってしまうのだ。
「言葉を発する」というのは、本来、人智を超越した技術が不可欠な行為で、神が、「永遠の命」で、とてつもなく永き年月をかけて築き上げた神科学だからこそ成し得ている技なのだ。
神が原子を作り出して供給し続けて「作業を簡易化してくれている」から、人間の知識レベルでもコンピューターなどを使って音声化できているのだけど、神が原子の供給を停止すれば、今ある人間科学は「机上の空論」となってチリと化すことになる。
人間科学は、神科学のサポートありきで、やっと、成立している科学なのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

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私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

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神世界の科学力が宇宙を形成している

神は、重力が欲しくなった。
だから、重力を作った。
神は、地面が欲しくなった。
だから、地球を作った。
人間の目では確認できないけど神の目では確認できている「重力発生装置」と「素材発生装置」というのが存在している。
イメージとしては、重力発生装置が、宇宙の「ある1点」を中心にして中心方向に力を働かせ続けていて、素材発生装置が、その中心付近に金・銀・銅・鉄などの土を形成する素材をバラまいた結果、上手い具合に重力に引き寄せられていって、ランダムに様々な素材が交じり合った、良いあんばいの地面を有する地球が出来上がった、という感じだ。
正確には「重力」じゃなくて「万有引力」と書いた方がいいのかもしれないけど、いずれにせよ、その力は元々から存在している「自然発生的な力」ではなく、神が完成形を維持するために作り出した「人工的な力」なのだから、神には「いかようにも変更可能な力」、ということになる。
卵子1つから細胞が増えていって目耳鼻口などが付いた「人間という体」の完成形へと到るように、神には、最初から、「地球という惑星」の完成形が見えていて、「遺伝子」という人体の設計図が存在するように、「このような星にする」という設計図が存在していて、その設計図通りに地球は作られたのだ。
そして、もう1つ、「火力発生装置」というのが存在していて、それが、地球の内部を燃やし続けている。
あなたが感じている感覚は、全て、「神の脳」が神経を通して信号を送って感じさせている感覚だから、「燃えている」「あつい」という表現はどうかと思うけど、とにかく、あなたが「燃えている」「あつい」と感じている地球の中心部は、火力発生装置によって燃やされ続けているから、マグマのような高温な物質が存在し続けることが出来ているのだ。
惑星だけじゃなく恒星も同じように作られていて、星の主な構成成分をガス系に変更して、後は、惑星である地球に対しては火力を抑えて、恒星である太陽に対しては火力を増大させている、ということになる。
もちろん、地球に適度な温度と光を与えるために、火力の調整が常に行われていて、太陽と地球の配置関係も、常に調整が行われている。
恒星、惑星、衛星の全てに設計図が存在していて、設計図通りに力を加え続ける装置というのが存在していて、その力によって公転や自転は成立しているのだ。
たまたま、そうなった訳じゃない。
神によって、完璧に、計算され尽くしているのだ。
宇宙内に星がいっぱいあるのは「神の遊び心」による産物で、人間の子供が公園で砂遊びをしていて「どんな団子が出来るかな」「どんな団子が出来るかな」と夢中になって作っているうちに「団子がいっぱい出来ちゃった」のと同じで、神が、「どんな恒星が出来るかな」「どんな惑星が出来るかな」と遊びに夢中になっているうちに、いっぱい星が出来ちゃったのだ。
地球から見て「夜空に星がいっぱいキラキラ輝いてキレイだから」という理由もあるだろうけど、星以外にも、地球上に様々な種類の生き物がいたりするのは「子供心で夢中になって作って遊んでいたらいっぱい出来ちゃった」というのが、だいたいの理由なのだ。
神が、今、この世に存在している素材で作ることが可能な完成形を考え尽くして数多の完成品を存在させているから、人間が何を作っても「神作品の模倣品」という感じになる。
「電線」は「神経」の模倣で、「コンピューター」は「脳」の模倣で、「注射器」は「蚊の口」の模倣で、「暗視スコープ」は「フクロウの目」の模倣で、「懐中電灯」は「ホタルの光」の模倣で、「パラグライダー」は「ムササビ」の模倣で、「飛行機」は「鳥」の模倣で、神が作った作品の方が、よっぽど高性能なのだ。
人間が何をやっても「神の真似事」となってしまうのは、神が、人間から見て「はるか未来のテクノロジー」である神科学を日常的に軽々と使用できている存在だからなのであって、だからこそ、人間が何をやっても「神の後追い」となってしまうのだ。
常に、神科学の下に人間科学が存在していて、もちろん、今の人間科学で作ることが出来ない「体」も神作品の1つ、ということになる。
「人間の体」「鳥の体」「イルカの体」、いずれも、神がデザインした超未来型の作品なのだ。
人間は、超未来型のロボット(体)に搭乗しながら、ソレと比べたら、はるか昔の古臭い旧型であるロボットの研究・開発を一生懸命に進めていて、超未来型の飛行機である鳥やトンボやチョウチョを片目に見ながら、ソレと比べたら、はるか昔の古臭い旧型である飛行機の研究・開発を頑張っている。
まるで、先生が手本を見せてくれて生徒が教えてもらいながら授業してるみたいで、「みたい」ではなく、まさに、それが、現実なのだ。
人間が思いつける未来の、さらに、さらに、さらに未来。
VRスコープが進化した「目」という超未来型の映像受信装置、イヤホンが進化した「耳」という超未来型の音声受信装置、スピーカーが進化した「口」という超未来型の音声発生装置が開発された。
そして、さらに未来に、神科学の結晶である「宇宙」が誕生した。
1つの宇宙に1つの神、だけど、神が所有している宇宙は1つだけ、とは限らない。
宇宙を複数所有している神だって、いる。
神がやっていることは、全てにおいて、壮大だ。
無限の存在である神を、有限の存在である人間の物差しでは、はかれない。
「できるはずがない」という人間特有のリミッターを外せば、「神々の世界」の片鱗が見えてくるはずなのだ。
「人間に思いつけることは、とっくの昔に、神は思いついてる」
「神は、人智をはるかに越えた超未来型の道具と科学力が溢れている世界に住んでいる」
「人間は、神から与えられた子供用のオモチャで遊んでるだけ」
この3つを頭の中で何度も唱えて、そして、日常にある「有限」を「無限」に変換すれば、答えが見えてくるはずなのだ。
う~ん、唱えて答えが見えてきた結果、どうやら、上記で書いた「装置」という表現よりも「プログラム」という表現の方が適切かもしれない。
人間が作ったテレビゲーム画面の中で、人型キャラが岩に邪魔されて通れなくなるけど、それは「岩があるから通れない」のではなくて、「通れないようにプログラミングした上で岩の映像を被せている」だけの話だ。
それと同じで、人間であるあなたが石で作られた壁をすり抜けることが出来ないのは、そういう風にプログラミングされた上で石の映像が被せてあるだけの話なのだ。
神が「人間の体は石をすり抜けられる」とプログラムの変更を行えば、あなたは、石をすり抜けることが可能になる。
そう、あなたは、神がプログラミングしてルール化してから、その上に映像を被せたり、音声を被せたり、においを被せたり、味を被せたりしてデコレーションした世界、感覚化の超プロである神が様々な感覚を上手に組み合わせて作った「神科学で彩られた世界」に住んでいるのだ。



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全ては神の設計図通りに進行している

トンボは空中で止まるような飛び方が可能で、チョウチョはヒラヒラと不規則な飛行経路で舞うように飛んで、それぞれ飛行形態が違う、「人間が空を飛ぶ乗り物を作る時にとても参考になる」飛行テクニックを、人間の目の前で、披露してくれている。
鳥なんかは、もの凄くスムーズに、見事な曲線を描いて、美しい流線形の翼で優雅に飛んでいる。
神は、長年の試行錯誤で手に入れた「飛行テクニックの真髄」を、惜しげもなく、無償で、公開して見せてくれているのだ。
人間は、「鳥の翼」を参考にして飛行機を作ったけど、今現在でも、まだまだ神の飛行技術レベルには、全然達していない。
人間よりもはるかに小さい「体」と「脳」である蚊ですらも、今の人間が有する飛行技術以上でブンブン飛べていて、もちろん、これは、蚊が自力で手に入れた技術ではなく、さりげなく神が神世界の圧倒的な技術力で手助けしてくれているからこそ、「神が設計した体」であるからこそ、蚊は軽々と飛べているのだ。
「雪の結晶」が美しくデザインされているように、神は、作品の細部まで気を配っている。
そして、人間が所持している小型化の技術よりも、はるかに上の小型化の技術を所持している存在なのだ。
「蚊が賢い」のではなくて「神が賢い」。
地球上の生き物たちは、ただ、神から与えられた体を操縦しているだけで、その体は、神の技術力によって作られた「借り物の体」にすぎない。
鳥やトンボやチョウチョが使用できている「飛行技術」は、神が与えた技術なのであって、神世界で神科学を日常的に扱っている神が、その科学を駆使して作った「空を簡単に飛べる体」を与えたから、鳥たちは軽々と空を飛べているのだ。
遺伝子という設計図は神が設計したものであり、空気や重力ですらも神が設計したものであり、だからこそ、揚力や空気抵抗などを完璧に理解して見事にデザインされた「体」が存在している。
神がいなければ、神が手助けしなければ、鳥やトンボやチョウチョが有する「知識レベル」では絶対に手に入れることが出来ない「身分不相応な飛行技術」なのであって、サナギから羽化したチョウチョがすぐに空を飛べるようになるのは、全てが「神のおかげ」なのだ。
この世の全ては「神の設計」によって成り立っている。
普通に考えれば、太陽から約1億5000万km離れた地球にまで太陽の重力が及んで、地球が太陽の周りを「ちょうどいい距離で」ずっと回り続ける、なんて有り得ない話で、「太陽と地球の成分の調整」「重力の調整」を神が上手く行ってくれているから、成し得ている技なのだ。
そう、「重力」ですらも「神が設計したもの」なのであって、この世の、元々からある設計は全て神が行っていて、まさに、「創造主」という言葉通りの存在が、神なのだ。
太陽が、地球に適温を与える「ちょうどいい火加減で」燃え続けているのは、人間の体温が36度くらいの適温を保ち続けているのと同じことで、神が「地球の気温を適温にする」と決めたから、地球は、生き物が住むのに最適な温度になっているだけの話なのだ。
神が、太陽と地球の配置を「設計」したのであり、太陽の火加減を「設計」したのであり、太陽と地球の重力を「設計」したのであり、人間の体温を36度くらいに「設計」したのであり、全ては、神の「設計図」通りに、神の思いが実現した形で、この世は運営されているのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

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恐竜は神の脳内に今も存在している

化石発掘で恐竜の化石を発見して大騒ぎしたりして、人間達は、目を輝かせて「恐竜ってどんな存在だったのかな」という話題で盛り上がってる。
「こういう姿だったんじゃないかな」「こんな鳴き声だったんじゃないかな」と想像を膨らませて、「ジュラシックパーク」みたいな恐竜映画を作っちゃったりして、観客たちも「恐竜ってこんなに大きかったんだ」「凄いね~」なんて言って感動している。
実は、恐竜というのは、人間にとっては「未知」の存在だけど、神にとっては「熟知」の存在で、神目線から見ると、人間は、かなり面白い言動をしている存在となっている。
「神が恐竜の体をデザインした」のだから、もちろん、恐竜に関する全てを神は知っていて、神にお願いしてOKさえもらえれば、本物の恐竜を、いとも簡単に見ることが出来る「最短ルート」というのが存在していて、それは、教育上の理由で「極秘ルート」という感じで隠されているだけなのだ。
恐竜の姿は「映像」として、恐竜の鳴き声は「音声」として、ちゃんと、「永久に朽ちないデータベース」である「神の脳」にリアルに保管されている。
神は、「恐竜」という芸術作品の作者なのだから、気に入った自分の作品のデータは、ずっと大切に保存しているのだ。
もちろん、恐竜が生きていた時代の様相も、ちゃんと、残されている。
恐竜の息使いまで感じられるようなリアルな感覚が、ちゃんと、記憶として残されていて、恐竜が生きていた世界の映像も鮮明に残っているのだけど、あなたは、まだ、見せてもらえていないだけなのだ。
人間はボケーと過ごしている。
目の前で、チョウチョの幼虫が変身して空を飛んでいっても大事に思えず、軽い感じで「凄いね~」なんて言って感心してる。
「ちょっと変わった」という程度のレベルではなく「全く違う」体になって、さらには、幼虫の頃には「モゾモゾと歩き回っていた」だけなのに、成虫になったら「羽を生やして優雅に空を飛んでいる」のに、そんな天地驚愕な奇跡が目の前で起こっているのに、それでも、大事に思えないのだ。
この変化と比べたら、人間がやってる整形手術なんて陳腐で雑すぎるオンボロ技術で、遺伝子を自由自在に操れる神技術の足元にも及んでいない。
常に、神が上で、人間が下であり、「神技術が凄すぎる」から、幼虫からサナギを経て成虫になる体の変化が「神世界にある神々の技術力の結晶」であることに、人間は気付けない。
神と人間の実力差がありすぎるから、人間は、明らかな「矛盾点」に気付けないのだ。
「蚊は口から唾液を出して“血が凝固しない成分”と“痛みを感じさせない麻酔みたいな成分”を同時に人間の肌に注入しているから人間は針で刺されていても気付けないんだ」という知識を得ても「へぇ~、蚊って賢いんだね」って、軽い感じで言ってる。
「血液の仕組み」と「神経の仕組み」を完璧に理解している者じゃないと出来ないビックリ仰天なテクニックが目の前で軽々と披露されているのに、それなのに、軽い感じで言っているのだ。
神が、目の前で奇跡をいっぱい起こしてくれているのに、どういう訳だか、人間は、全然、気付こうとすらせずにボケーとしている。
ちょっと考えれば分かる話なのに、何故か、「神に関すること」となると頭がショートした感じになって思考力が散漫になってしまっていて、おそらく、これは、神による「封印」という力が働いていて、普通に過ごしているだけでは絶対に「神の存在」へと辿り着けないように「人間の脳」は仕組まれている、ということなのでしょう。
チョウチョも人間も同じ「遺伝子システム」によって作られた存在なのだから、もう、そろそろ、矛盾点に気付かなければいけない。
「人間に出来ていること」の全てをあなたが出来るのはもちろんのこと、「チョウチョに出来ていること」の全てもあなたに出来る、というのが、当然あるべき姿なのだ。
そして、もちろん、この世の創造主であり「全知全能」である神は、ソレが当たり前のように出来ていて、この世で実現できていることの全てを「自分の能力」として所有している存在であることは、言うまでもない。
神が「凄すぎる存在」であるから、人間は「神の存在」に気付けなかっただけの話なのだ。
地球上に存在する全ての「体」が、遺伝子システムを駆使して神がデザインした作品であることに気付いていないから、人間は、チョウチョが「変身して空を飛んでいってる」現実を見ながら、テレビでヒーローが変身して空を飛ぶ場面を見て「現実では有り得ない話だよな」と言ってる。
蚊の体、チョウチョの体、人間の体、恐竜の体、さらには、空気、重力でさえも「神が創った芸術作品」なのだから、体の大きさに関係なく、「空を飛ぶこと」なんて、神世界では、お茶の子さいさいで実現可能なことなのだ。
神は、「重力」の作者であり「体」を自由に選べる立場なのだから、「重力の影響を受けない体」へと変身すれば、羽がなくても余裕で空を飛ぶことが出来ている。
「人間の体は重力の影響を受ける」と神が設定しているから、そうなっているだけで、臨死体験をした人が「幽体離脱みたいに部屋の中をフワフワと漂って天井からベッドで寝ている自分の体を見れている」という事実は、「重力の影響を受けない体」となって、その体からの視点で見ることが可能であることを指し示している。
そして、もちろん、神の場合は、そんなフワフワした曖昧な存在ではなく、鮮明でハッキリとした「自分の体」を維持したまま、自由自在に空を飛べていることは、言うまでもない。
「この世」と「あの世」のどちらも、神世界の劣化版だから「100点満点の体」が与えられていないだけで、「この世」で出来ることは神世界でも出来るし、「あの世」で出来ることは神世界でも出来るし、「この世」と「あの世」を足し合わせて、さらに、それ以上のことが当たり前に出来ているのが「神世界」なのだ。
「走馬灯」や「臨死体験」など、数々の体験談が記録として残されていて、そして、これだけ科学が進歩した今なら、気付けるだけのパズルピースは、もう、十分に、揃っている。
あとは、それを組み立てさえすれば、誰でも、神の存在へと辿り着ける時代になっているのだ。
蚊の体も、神が考案した「遺伝子システム」によって作られた体。
蚊の口先に付いてる高性能な注射器は、神が試行錯誤して生み出した1つの作品なのだ。
「蚊が賢い」のではなくて「神が賢い」のであって、蚊は「麻酔が効いていて人間は痛みを感じていない」という事実に気付いてすらいない。
もちろん、人間だって、例外ではない。
教科書で自分の体のことを勉強して、やっと自分の体の仕組みが分かるようになったのであって、教科書がない時代の人間は「肝臓がアルコールを分解している」なんて全く気付かずに暮らしていたのだ。
人間よりも神の方が、はるかに賢い。
そして、人間は、常に、「神から教えてもらっている」存在なのだ。
アルコール(エタノール)の化学式は複雑で、誰かが思い描かなければ、実現させることは出来ない。
偶然に出来上がるほど、簡単な副産物ではないのだ。
神が「アルコールが欲しい」と思ったからこそ、今、アルコールが存在している。
神が、「人間がアルコールを飲むと酔って上機嫌になるようにしよう」「何か楽しみがないと生きていけないだろうから一時的に辛いことを忘れて楽しめるような飲み物も用意しておいてあげよう」と思ったから、その「思い」が実現してアルコールが存在しているのだ。
「アルコール」と「肝臓」、どちらも神の作品であり、「アルコールを摂取すると人体がどんな反応を示すのか」を決めたのも神であり、神目線から見ると、全てが、出来レースなのだ。



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「人間の脳」は「神の脳」の劣化版

神の脳は、目や耳などから得た情報や感じたことの全てを記憶として残せていて、その上で、さらに、「何度も見たい記憶」を思い出しやすくするために部分的な記憶に「ランク付け」を行って、「全部の記憶」「重要な記憶」「最重要な記憶」という風に整理をして、常に、自分で自分の記憶を簡単に思い出せる状態になっている。
「自分の脳」なのだから「自分が望む形」になっているのが当たり前な話で、もちろん、神の脳は、そうなっているのだ。
人間の脳が、簡単に記憶できなかったり、すぐに忘れちゃったり、忘れたくても忘れられない嫌な記憶が残り続けたりして「自分が望まない形」となっているのは、神が教育用に作った「神の脳の劣化版」である脳だからなのであって、もちろん、神の脳は、簡単に記憶できて忘れないし、自分が「いらない」と判断した記憶は簡単に消去できる脳となっている。
当たり前のことが当たり前に出来ているのが、「神の脳」なのだ。
神の脳は、宇宙を丸ごと記憶できる程の膨大な記憶容量を持っている脳であり、宇宙を丸ごと処理できる程の驚異的な処理能力を有している脳であり、だからこそ、全人類の記憶を丸ごと保存することが出来ている。
「神の脳」の1部分を借りた状態で記憶できている「人間の脳」の場合は、「教育用の脳」であるがために「神の脳」よりもはるかに劣るスペックとなっていて、だからこそ、人間は、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という、おかしな生き物となっているのだ。
「人間の脳」の場合、「短期記憶」と「長期記憶」に分けられていて、重要な記憶が「長期記憶」の方に残されていて、一見、使いやすく整理されているように見えるけど、使いやすくはない。
「神の脳」みたいに、「まず全てを記憶して全てを思い出せる」という「第一段階」が抜けてしまっているのだ。
「走馬灯」を見ている時、「人間の限界」を越えて、無理矢理こじ開けて、「自分の鮮明な過去」を見ているのだけど、緊急時だけじゃなく平常時でも、この機能を使えたとしても何の不都合もなく、むしろ、有り難い機能であるはずなのだ。
暗記テストの時に、「走馬灯」という機能を活用すれば、簡単に100点が取れるようになる。
なのに、「受験の時に走馬灯を見た」という話は、聞いたことがない。
おかしな話だ。
そういう機能が付いているのに、自分の意思では、その機能を発動できない。
出来るはずなのに、「そうなることを強く望んでいる」のに、出来ない。
「一体、誰の願望が実現しているんだ?」って話なのだ。
そう、これは、ただ、「人間の脳は神の脳の劣化版とする」という理由で、「人間の脳の作者」である神によって、その機能が閉じられているだけなのだ。
もちろん、「神の脳」の場合は、常に、その機能が快適に使えている、ということになる。
使えないことの方が異常で、人間は、かなり不便で使い勝手が悪い脳を使って生きているのだ。
人間の脳は100%出来ることを何%かに抑えた「制限装置」なのであって、目的は「脳力に恵まれた者」「脳力に恵まれない者」「サヴァン症候群」など様々な者で彩られた世界にするためであり、それぞれの立場となった時に「どう生きるのか」をテストするためであり、そのために神の手で固定化されているだけの話なのだ。
サヴァン症候群」とは、自閉症アスペルガーなどの知的障害や発達障害がある者の中で「特定分野に限って優れた能力を発揮する者」の症状で、「発明王」と呼ばれているエジソン、「現代物理学の父」と呼ばれているアインシュタイン、「日本のゴッホ」と呼ばれている山下清がそうだったと言われていて、「知的障害」「発達障害」という障害が「世の常識を拒む形」になっているから「新常識を生み出しやすい脳内環境」になっていて、だからこそ、「新たな時代を切り開く役割」を担った偉人に多く見られる「脳の形」だ。
本を一回読んだだけで全て記憶できたり、絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できたり、電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来たり、時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来たりして、天才サヴァンの人は、常軌を逸した能力を発揮することが出来ている。
画家である山下清の場合は、驚異的な映像記憶能力を持っていて、旅先で見た景色を鮮明に覚えたまま実家に帰って、その目に焼き付いた景色を風景画として見事に描くことが出来ていた。
様々な「脳の形」があるけど、この世に存在する全ての「脳の形」が神の想定内であり、もちろん、神は、「人間の脳の作り手」なのだから、今、ある、「脳の形」で神が知り得ない形はなく、全てが神の手で再現可能な形、ということになる。
神は「全部」の存在であるから「人間の脳で出来ていることの全てが神の能力の一部分」ということになり、神は、一度見た景色は忘れないし、本を一回読んだだけで全て記憶できるし、絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できるし、電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来るし、時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来る存在なのだ。
全てにおいて、神が「全部」で、人間は「一部」で、「人間の体」は「神の体」の劣化版であり、神が「人間の体」を作って維持し続けてくれているのだから、「人間の体の仕組み」は神によって完全に掌握されている、ということになる。
「神の脳」が、人間からの「手足を動かしたい」という思考を受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、遺伝子システムを駆使して、人間の手足を動かしている。
神が、人間からの思考を全て受け取って、実現可能なお願いだけを厳選して、代行して叶えてあげているのだ。
「人間の脳の仕組み」も、例外ではない。
あなたが見て聞いて感じた記憶は、まず、「神の脳」へと全て送られて全て記憶されていて、そして、あなたが「自分の記憶」を引き出す時は、「神の脳」に「記憶をくれ」とお願いして、そのお願いを聞き入れた「神の脳」が、「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で「あなたの記憶」を引き出してあなたへと渡している。
若い頃よかった記憶力(記憶引き出し力)がだんだんと衰えていくのは、「老いたら記憶力を衰退させる」という雛形になっているからで、そうなるように、神が、「リミッターの調整」を行っているだけの話なのだ。
老いても鮮明に記憶できているのだけど、そのリミッター機能が働いて記憶を容易に引き出せなくなってしまっているだけで、ちゃんと、「神の脳」に、その記憶は鮮明な状態のままで残されている。
走馬灯を見ている時は、そのリミッターが一時的に解除され、一瞬だけど、その記憶を見れている、ということになる。
そして、もちろん、「神の脳」の場合は、リミッターが全て解除されている状態が通常運転であり、常に各種機能のONとOFFを自由に選択できる状態であり、ずっと老いなくて、ずっと記憶力が衰えなくて、未来永劫、ずっと快適な動作環境のままであることは、言うまでもない。



Author:神描人(かみえがきびと)

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「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

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たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

神があなたの魂に体をまとわせている

「体」を除いて残る中心部分が「魂」であり、今、あなたが纏っている体は、本来、今のあなた程度の技術力では絶対に手に入れることが出来ない「身分不相応な体」で、神が、神世界で、気が遠くなるぐらい永き年月をかけて作り上げた「珠玉の体」で、作り手である神の実力が凄すぎるから、人間は、自分の体が「自分以外の者によって作られた体」であることに気付けない。
その体は、今の人間から見て「超未来型の体」であり、未来に手に入れるはずの体を先取りして手に入れている「時系列がおかしい体」であり、もちろん、作り手である神がいなくなれば消え去ってしまう「儚き体」でもある。
今、あなたが纏っている体は、親から受け継がれた体ではなく、自分で作り上げた体でもなく、神から「死ぬまで」という期間限定で貸し与えられている体なのだ。
他人も自分も、同じ「人間」という生き物で、同じ世界に生きている者同士なのだから、他人の顔が気に入ったのなら、その顔の作り方をその人から教えてもらって自分も同じ顔にすればいいだけの話で、それが出来ないのは、人間、みんなが、「自分で自分の体を作れていない」からなのだ。
自分の体を自分で作った者が、そのノウハウである「体の作り方」を、自分よりも後に生まれた者に伝承していくのが、本来の意味での「体を受け継ぐ」ということなのだ。
遺伝子は、体を作るための1つのツールなのであって、人間が、そのツールを自由に使いこなせていないのは、神が開発したツールだから、ということになる。
学校で、赤の他人である理科の教師から「自分の体の仕組み」を教えてもらって、体の具合が悪くなったら病院で、赤の他人である医者に「先生、一体、自分の体のどこが悪いんでしょう?」と尋ねて、レントゲン写真を見せられて「へぇ~、自分の体って、こういう風になってたんだ~」とトンチンカンな発言をしている時点で、あなたは、あなたの体の作り手ではないのだ。
この世に存在する全ての体の雛形は、「永久に朽ちないデータベース」である「神の脳」内に完璧な状態で保存されていて、だからこそ、「人間」は「人間」として、ずっと姿形を保ち続けることが出来ている。
あなたが思っている以上に、人体の仕組みは、神世界で、完璧に解明され尽くしているのだ。
というか、「神が作った体」なのだから、解明する必要はなく、ただ、自分が作った体の仕組みを、そのまま明文化して残しているだけなのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
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第6感である「思考覚」

神世界の日常生活において、口を使わずに「思ったこと」を直接相手に伝える会話手段を成立させている神経を「思考覚神経」と名付け、そして、「思考覚」は人間の五感以上の感覚なので「第6感」としておく。
この神経は、神と神の間では会話的に使用されているのだけど、人間に対しては、「人間から一方的に思考を読み取る」「人間に一方的に思考を送る」という風に、一方通行となっている。
神対神の場合は、「この思考は伝えるけどこの思考は伝えないでおこう」という選別が出来ているのだけど、神対人間の場合は、人間側が思考覚を扱える状態ではないため、常に、神側が主導権を握っており、「神が人間からの思考を全て受け取って実現可能なお願いだけを代行して叶える」という形が、今現在での通常運転となっている。
あなたからの「手足をこう動かしたい」という思考信号を「思考覚神経」を通して「神の脳」が受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で、「神の脳」が「手足をこう動かせ」と指令を出して、その指令に従ってあなたの手足は動くこととなる。
その指令は、「遺伝子システム」を活用して「人間の体」の各部位の細胞1個1個を同時に動かす形で実現されていて、もちろん、「遺伝子システム」の考案者である神が完全支配している世界であることは、言うまでもない。
「人間」という生き物は儚い存在で、神がいなければ体を動かすことすら出来ない存在で、常に、神に思考を読まれている存在でもある。
なんとなく思っている「退屈だな~」だとか「困ったな~」だとか「嬉しいな~」だとかも、神からは丸聞こえで、だからこそ、それらの「思い」の雛形である「退屈顔」や「困り顔」や「笑い顔」などの「顔の表情」が、神によって用意周到にデザイン化されているのだ。
人間が思っている以上に、人間は、神に完全依存して生きていて、「記憶管理」ですらも、完全に神のコントロール下に置かれている。
人間は「神の脳の1部分を借りた状態で」記憶することが出来ていて、だからこそ、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という「おかしな脳」となっている。
「暗記するのに苦労する」という苦しみは、神世界では、有り得ない苦しみなのだ。
「神の脳」に、リミッターは付いていない。
だから、とてつもなく膨大な量の記憶を、余裕で保有できている。
あなたの目は「神が与えたもの」であり、あなたの耳も「神が与えたもの」であり、あなたが見た映像を神も見ていて、あなたが聞いた音声を神も聞いていて、人間達が「アカシックレコード」と名付けた巨大な「神の脳」に、全てが記憶されて残っている。
「1つの宇宙」を軽々と管理し続けている脳なのだから、「1個人の一生分の記憶を残す」なんてことは余裕で実現できていて、それだけじゃなく、生と死を何度も繰り返して違う体で生きてきた「あなたの魂が生まれてから今までの記憶」も、ちゃんと「神の脳」内に残されているのだ。
神が「記憶処理能力」に制限をかけているから、人間は、目や耳などから得た100%の記憶を思い出すことが出来ないのだけど、その「100%の記憶」は「神の脳」にちゃんと残されていて、「それは、後の、お楽しみ」という感じで、サプライズプレゼントとして、神が大切に保管して預かってくれている。
この世は「神が作った世界」であり、神に対して隠れて出来ることは、何1つとして、ない。
神は「人間の脳の作者」なのだから、あなたの記憶は全て掌握済みで、神と初対面した時に自己紹介する必要はなく、「私です」と一言いえば、「ああ、あなたのことなら何でも知ってるよ、それ以上、自己紹介する必要はない」と神が応える形となる。
あなたのことで、神が知らないことは、何1つとして、ないのだ。
あなたに思い出せることは、神にも思い出せる。
むしろ、あなたは、何%しかあなたの過去を覚えていなくて、神は、100%あなたの過去を覚えている存在なのだ。
そして、将来、あなたが神となり、「思考覚」を扱える存在となれたなら、走馬灯で見る「不完全な過去の記憶」ではなく、「神の脳」に鮮明に残っている「完全なる過去の記憶」を、神対神の会話的な形で、あなたの魂の産みの親である神から手渡されることになるでしょう。
その時、現世だけじゃなく、前世・前前世・前前前世……という過去世の自分の記憶をも、鮮明に目にすることになる。
人間の親が子供にしていることは、あなたの魂の産みの親である神もしていて、そして、それは、人間よりも「はるか上」のことをしている。
神は、宇宙の作り手なのだから、宇宙を丸ごと撮影して「あなたの成長記録ムービー」として、残してくれているのだ。
神から見たら、人間が使っているビデオカメラは、子供用のオモチャだ。
そのオモチャは、「親である神」が「子供である人間」に創意工夫を学ばせるために、「子供の頭でも作れる程度に」わざと簡単に作れるようにしたオモチャで、神が試行錯誤して用意してくれた数々の「雛形」を組み立てるだけで作れてしまうオモチャで、やっていることは、人間の子供が親から与えられた「積み木のオモチャ」で遊んでいる程度のレベルでしかない。
神技術と人間技術では、それぐらい、大きな隔たりがある。
そして、神技術が凄すぎるから、目の前で披露してくれているのに、今までの人間は、自分が「圧倒的な技術力で彩られた世界」に住んでいることに気付けなかっただけの話なのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

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体の死を乗り越えて魂は生き続ける

サナギになってチョウチョの幼虫の体がなくなることを「死ぬ」として、サナギからチョウチョの成虫の体が形成されることを「生まれる」とすると、「死ぬ前」と「死んだ後」で同じ魂が入っていると考えるのが普通で、「幼虫の時の魂と成虫の時の魂は別物だ」と考える人は、いないはずだ。
サナギの時点を受精した受精卵だと考えると「人間の誕生」の仕組みが見えてきて、生まれる時に、生まれる前の体(チョウチョの幼虫みたいな状態)から生まれた後の体(チョウチョの成虫みたいな状態)へと神の手によって変更されていて、人間の場合は、その時に、記憶の封印処置も施されている、と考えるのが一番しっくりくる自然な流れだ。
「生」と「死」というのは、「体が変更される」というだけの現象で、「生まれる前」「生まれてから死ぬまで」「死んだ後」いずれも同じ魂で、神が存在を認めている限り、ずっと魂は生き続ける、ということになる。
いつか神となれる未来を見据えて、そのために、沢山の教材(雛形)を用意して、神が人間を親身になって教育してくれているのだから、「体が死んだら終わり」というのは、おかしな話だ。
人間の体が死んだ後も、中身である魂は、「神の目」には見えているけど「人間の目」からは見えなくなった「新たな体」を与えられて生き続けている、と考えるのが、一番、理論的に納得できる話なのだ。
「真の死」は魂の消滅を意味し、神世界へと行く前であっても、神が消滅させない限り、「体の生と死を繰り返す」という変則的でいびつな形だけど、魂は永遠に生き続けるのだ。
「体が死んだら終わり」じゃなく「体が死んでからが始まり」で、新たな始まりを、人間世界よりも上の世界で成し得たいのであれば、自分の魂を自分の手で良き方向へと導いていく必要がある。
なぜ「体の死」という苦しみを課せられているのかというと、すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、罰的な意味もあり、教育的な意味もあって、そうなっているだけで、ちゃんと「神の言葉」に従って良き魂となれば、「体の死」という苦しみから解放されて、「永遠の命」と「自分の体を自由に選べる」という、真に永遠であり、真に自由である神世界で、いつか、きっと、暮らせるようになる。
神が100%の能力を発揮した神技術や神作品で彩られていて、夢みたいな世界が実現しているのが神世界。
神が能力をセーブして作った「この世」で実現できている結果から神世界を推測して、ちょっと覗いただけでも、とんでもなく凄い世界であることが、うかがえる。
例えば、の話。
あなたが、録画したテレビ番組を再生して見ている時、「ちょっとトイレに行ってこよう」と思って「一時停止」して、トイレを済ませて戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。
ちょっとした、人間生活のひとときだ。
神の場合は、こうなる。
神が、自分が作った宇宙を再生して見ている時、「ちょっと世界中をじっくりと見て回ってこよう」と思って「一時停止」して、世界中をじっくりと見て回って戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。
これが、ちょっとした、神生活のひとときなのだ。
う~ん、神の例え話の方は、「一時停止」というよりも「スーパースロー」と表現した方が、いいのかもしれない。
人間が走馬灯を見ている時は、ありえないほど膨大な量の「自分の過去」を、一瞬で、見ることが出来る。
その時、おそらく、「人間の思考速度」に制限をかけているリミッターが一時的に解除されて「神の思考速度」に近づいている状態なのでしょう。
「自分の思考速度を調整できる」神は、自分の思考速度をMAXにして、それから「自分の宇宙内を巡回している」という感じなのだと思います。
もしくは、そのMAX状態が通常運転で、人間側の思考速度の方を調整しているのかもしれない。
いずれにせよ、神が軽々と行っている日常生活が、人間の想像をはるかに超えたものであるのは、間違いない。
神は、人間世界を随時チェックしていて、ダメな部分の修正をいつでも行える立場なのだから、もちろん、人間が走馬灯を見ることも想定の範囲内であり、修正することなく残し続けているのは「神がどんな存在であるのか」「神世界がどんな世界であるのか」を知るヒントとするために、あえて、残している、ということになる。
「遺伝子」「サナギ」「走馬灯」、神が粋な計らいでわざと残した数々のヒントを繋ぎ合わせていくと、衝撃的な事実へと辿り着けるように、この世は作られているのだ。
当たり前なことが当たり前に出来るのが神世界であり、神であり、神世界の科学力は、人間世界の科学力を、圧倒的に凌駕している。
人間技術は、常に、神技術の後追いであり、劣化版なのだ。
だから、人間世界で実現できている技術の「さらに上」を考えると、神世界の技術が浮き彫りになってくる。
人間が、グーグルマップで世界を「拡大」「縮小」して地図を見ているように、神は、「宇宙規模」「太陽系規模」「地球規模」「国規模」「都市規模」「家規模」「人間規模」「細胞規模」「原子規模」という風にズーム倍率を変更して、宇宙のどこであっても鮮明に見ることが出来ている。
人間よりも「はるか上」の技術を使用している神なのだから、これくらいのことは出来て当たり前なのだ。
そして、もちろん、「神の目」は、「人間の目」みたいに、酷使したら充血したり疲れ目になったり頭痛になったりすることはなく、衰え知らずで、疲れ知らずで、ずっと快適に使用できて健康なままであることは、言うまでもない。



Author:神描人(かみえがきびと)

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