父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

人間の体はテスト用の体

神世界から隔離した僻地に「人間世界」という地獄(刑務所)を用意して、「人間の体」というテスト用の体を用意して、その場所で、その体で、何をするのかを試されている。
そして、神から見て合格だと判断された者のみ、上の世界(天国または神世界)へと引き上げるシステムになっていて、テストなのだから、もちろん、刑務所内で発生した行動や言動や思考は、ちゃんと記録されて残っていて、それを元にして死後の進路が決められているのだ。
人間世界は、かなり軽めの地獄で、それなりに楽しめる世界となっているから、自分が地獄にいることに気付いてすらいない人が大多数だと思うけど、苦しむ必要がない苦しみを見つけ出して列挙していけば、ありとあらゆる自由が制限されている監獄的な世界であることに気付けるはずだ。
人間の体は、「人間の意思」が現実化した体じゃない。
「神の意思」が現実化した体なのだ。
人間が老いていくのは、神が「老化の術」という神技術で老いさせているだけの話で、「弱者の立場を強制的に味あわせるために」そういう設定になっている。
本来、「生命」というのは、誕生したら、ずっと若々しいままで、永遠に生き続けるのが、当然あるべき姿なのだ。
今の人間は、当たり前のことが、当たり前に出来ていない。
もし、「人間の思考」が現実化してリンゴが出現したなら、リンゴが直で出てくるのが当然の流れなのであって、わざわざ、種をまいて植物として育てて実となってから、やっと、リンゴが食べられる「遠回り手順」には絶対にならない。
人間を育てる側の存在、教育する側の存在である「神の思考」が現実化している世界であるからこそ、育てられている側の人間から見て「遠回りルート」が選択されているのだ。
今の人間が背負っている苦しみは、本来、苦しむ必要がない苦しみばかりだ。
近くばかりを見ていたからといって、近視になって遠くが見づらくなる必要性はどこにもないし、遠視になって近くが見づらくなる必要性も全くない。
近くも、遠くも、中間も、ずっと永久に快適に見続けられる目にすればいいだけの話で、もちろん、「神の目」は、そうなっている。
「人間の目」は、「神の目」の劣化版なのだ。
なぜ、わざと、劣化版にしてあるのかというと、目に異常が発生したら必死に「目の仕組み」を勉強し始めるだろうし、仕組みを理解した上で近視や遠視を解消する「メガネ」や「コンタクトレンズ」を人間が開発し始めるだろうし、それらの勉強意欲や開発意欲を強制的に引き出すために、あえて、「人間の目」を劣化版にしてある。
人間の体は、「教育を最優先にして」作られているのだ。
食べ過ぎて内臓脂肪が増えると健康的な体に害が及ぶというのなら、害が及ばない程度に脂肪を蓄えればいいだけの話で、「お腹いっぱいになったよ」という信号が脳に送られてくるのだから、そこまで見事に「これ以上食べると体の健康を保てなくなるよ」というリミットを明確に分かっている体なのだから、「そのラインに達したら体に脂肪を蓄えるのをストップする」という仕組みにしさえすれば、「お腹いっぱいで苦しくて、もう、食べられないよ~」なんていうおかしな苦しみから解放されて、際限なく、ずっと美味しく食事をし続けられる体となれるはずなのだ。
その「永遠の至福状態」にストップをかけているのは神であり、目的は「教育のため」であり、理由は「地獄(刑務所)だから」なのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)