父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

聖典は「神が著した書物」

釈迦が「悟りの境地」で得た真理は「この世はこういう風な設定になっていることが分かった」という所までで、さらに上の境地になると「神がそのような設定を作った」という所まで辿り着く。

ブッダは、悟って「神の教え」を忠実に人々に伝えた偉い御方。

預言者は、さらに、神の言葉を預かって「神の存在」までも人々に伝える。

ブッダは、人間側からの積極的アプローチで真理へと辿り着き、預言者は、神側からの積極的アプローチで真理へと辿り着く。

ブッダ預言者では、少し説き方が異なるけど、言っている「真理」は同じ。

真理は1つだから、皆、同じ真理へと辿り着くのです。

神は、宇宙が誕生してから今まで、ずっと、生き続けている御方だから、皆、同じ結論へと終着する。

はるか昔、釈迦やイエス・キリストが生きていた時代にいた神と、今いる神は、同じ神。

ずっと、宇宙の頂点に君臨し続けていて、「永遠の命」を当たり前のように所持していて、これからも、ずっと、生き続ける御方なのです。

私の文章はマスターキー。

じっくり読んで「神の視点」を身に付けた読者は、全ての預言書を、より分かりやすく通読できるようになったはずです。

マスターキーを差し込む感じで、フーと神宿る息を吹き込むと、聖典は輝き始め、神が語り始める。

聖典は、人間が作った書物ではない。

神の言葉を預かった預言者たちによって作られた「神が著した書物」なのです。

人間を、はるか上から、教育している存在がいる。

教育者である神の存在なしでは、人間世界の仕組みを、上手く説明できない。

釈迦が、苦行に苦行を重ねて「いくら苦行しても苦行だけじゃ真理を得られない」と悟ったように、人間が、自分が着ているTシャツを両手で掴んで引き裂いたとしても「服の丈夫さ」が分かるだけで、何度も何度も服を破いても、それ以上の事実は得られない。

Tシャツは「人間が作ったもの」であり、人間の体は「神が作ったもの」であり、なぜ、服(体)の構造が、そういう風になっているのかというと、「作者がそういう風にデザインした」というだけの話。

「Tシャツを洗濯して天日干しにしたら着心地が良くなる」とか、「人間が風呂に入って体を洗って日光浴をしたら気分が良くなる」とかは、そういう素材が「Tシャツ」や「人間の体」に使われているからそうなるだけの話で、いくら苦行をしても「人間の体に使われている素材の性質」が分かるだけなのです。

服(体)は服(体)。

それ以上でも、それ以下でもない。

断食したり滝行したりして、どうなるかを調べても、服の性質や構造が分かるだけで、「教育者の視点」を加えないと、それ以上の真理へは辿り着けない。

やりすぎたら壊れて、やらなすぎても壊れる、という、人体の仕組みは、「体を管理することの大切さ」を学ばせるために、神が、そのような設定にしたのであって、「教育」を重視しているからこそ、そのような体になっているのです。

人間の体は、「やりすぎずやらなすぎず」の「中道」が、快適となるように調整してある。

日光に当たりすぎると、肌が痛んでシミになってしまう。

当たらなすぎると、日光を浴びることによって体内で生成されるビタミンDが不足して不健康になったり、脳内のセロトニンが活動不足になって気分的に落ち込んだうつ状態になったりしてしまう。

何故、そんな苦しみだらけの仕組みになっているのかというと、人間世界は「刑務所的な側面」も強く有る世界だから、「刑務所の囚人に何をやらせるのか」を考えてみると真実が見えてきて、「更生プログラム的な要素が強いからなんだ」ということが分かってくる。

本来、やる必要がない、神々が住む神世界には存在していない「体の健康を保つためにやらなければいけない苦行」を、刑務所を管理している側の者によって、あえて課せられている状態で、だからこそ、人間の体は、本来ありえない苦しみが付与された体となっている。

普通に考えたら、「一度作れた」のだから「何度でも作り直せる」というのが「体」というものなのです。

もちろん、神世界では、それが、通常運転となっていて、神仕様の体は、自分好みの体へと、何度でも作り直すことが出来ている。

神世界においての日常では、自分の体を使いすぎても壊れないし、使わなすぎても壊れないし、日光に当たりすぎてもシミにならないし、当たらなすぎても病気にならない。

釈迦が辿り着いた真理である「中道」は、「人間を教育するために」「人間を怠けさせないために」神が定めた決まり事なのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

全記事をパソコンにダウンロード(無料):
https://www.vector.co.jp/soft/data/edu/se517755.html

2021年1月28日にso-netが無料でホームページを提供するサービスを終了しました。
それに伴い、今はホームページを表示できない状態となってしまっています。
NTTのフレッツ光で、プロバイダをso-netに選択してインターネット回線に繋いでいて、そのso-netの無料ホームページサービスを利用する形で、そこに記事を載せたり、トップページから全記事をダウンロードできるようにしていたのですが、それが出来なくなってしまいました。
なので、新たにホームページ先を見つけるまでは、一時的に、ソフトダウンロードサイトであるVectorのみから全記事をダウンロードできる形をとっています。
多くの人にダウンロードしてもらって多くの人に読んでもらえるのが、これから私が文章を書く意欲にも繋がると思うので、今は、まだ、読むつもりがない人であっても、とりあえずダウンロードしてもらって、パソコンの片隅にでも残しておいてもらえると嬉しいです。
Vectorさんは大手のダウンロードサイトなので安心してダウンロードしてもらえるかと思います。