父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

無神論者の大敗北

マグマ活動がもたらす火山の噴火、大陸プレートと海洋プレートの摩擦によって発生する地震地殻変動、まるで生きているかのように脈動する地球は、人間における内臓に相当する「神の体」の1部分であるからこそ、ドクドクと脈打って動き続けている。
そして、「人間の体」も「神の体」の1部分なのです。
人間の脳が人間の体を管理しているように見せかけて、実は、神の脳が遺伝子システムを駆使して人間の体を完全に支配して管理している。
生物に関する情報が詰め込まれている「遺伝子」、これは、神が残した「メモ書き」なのであって、人間と違って神は「忘れない」から、目的は「人間に観察させるため」ということになる。
人間が「遺伝子組み換え技術」などで少しだけ遺伝子情報をイジれるのは、人間に少しだけ遺伝子システムを理解させるためで、「人間には初歩的な部分しかイジらせない」というお子様用の設定になっていて、「それ以上は“神の領域”だからイジらせない」とハッキリとした線引きが行われている。
もちろん、神が、自分で作った遺伝子システムにおいて、全ての遺伝子情報を閲覧可能で、細かな設定における「ON」と「OFF」を自由自在に変更できる立場であるのは、言うまでもありません。
そして、人間の体を形成している何兆個の細胞すべてに遺伝子が組み込まれているのだから「全ての細胞が神の管理下にある」という結論に達する。
惑星の自転や公転が自動的に処理されているように、人間の成長期や老いによる年齢的な体形の変化も自動処理となっていて、神が設定した通りに、人間は成長して老いていくのです。
体内(宇宙内)における生物に着せる服(体)の形状の変更、その生物にどのような一生を歩ませるかの運命(予定表)の変更、全ての設計者である神は「形状や性質や法則を自由に変更できる」という立場にいる。
生き抜くのに必要な分だけの能力と知識を与えられて、神が生成した生物たちは、この世に誕生するのです。
もちろん、人間だって、例外ではない。
トンボが飛行技術を熟知していなくても「神にお任せ」で軽々と飛べているように、人間も、ほとんどの作業を神にやってもらっていて、難しいことを考えずに、食べたり飲んだりしているだけで、体を子供から大人へと成長させることが出来る。
神は「全生物の体の構造を知り尽くしている」偉大なる御方で、神の存在ありきの話で、やっと、この世のシステムを分かりやすく解説できるようになる。
神の存在なしの解説では絶対に矛盾点が生じてくるし、無神論者は、この点を見落としているからグダグダな説明になってしまうのです。
人間は、理解できないことが起こると「不思議だね」という一言で片づけてしまう。
神の視点が加わると、この不思議を解説できるようになる。
一例、紹介します。
果実の種は、動物が食べても消化されずにフンとなって排出されるから「植物は種を遠方に運んでもらうために動物を利用している」のだけど、「動物が食べておいしいと感じる果実」を実らせるためには、動物から「食べてみた感想」を聞かなければ作れない。
人間は「植物って賢いね」なんて言って済ましてきたけど、よ~く考えてみると、これは大問題で、私の文章を読んで「神がメンテナンスしている」と気付いた読者なら納得できる話なのだけど、それ以外の人は、矛盾点を無視して強引に納得していただけなのです。
動物好みの果実を自分で考えて生み出すのに必要である「動物的な味覚」が植物に備わっているとは思えないし、美しい花々を風光明媚なデザインで咲き誇らせて「わぁ~キレイ」と人間を心から感動させる程の「芸術的センス」を植物が持っているとも思えないし、果実を食べた人間を「これは美味い!」とうならせる程の「料理的センス」を植物が持っているとも思えない。
それらは、芸術家と料理人が鍛錬に鍛錬を積み重ねて修行して、考えに考えて微調整して、やっと、生み出せる「デザイン」であり「味」なのであって、植物が軽々と披露できる技術じゃない。
神が軽々と披露しているのであって、動物の「味覚」に合わせた果実を考案したのは神であり、動物の「味覚」を考案したのも神であり、人間の「視覚」に合わせた美しい花をデザインしたのは神であり、人間の「視覚」をデザインしたのも神なのです。
神が試行錯誤して生み出した至極の技術なのであって、ボケーと突っ立っているだけの植物が思いつけるほど、簡単な技術ではない。
「種が消化されるかどうか」なんてのは、本来、何度も何度も実験を重ねた研究レポートがないと分からない事実。
植物が「自力で進化した」のならば「人間よりも植物の方が賢い」ということになり、おかしな話になってしまう。
神という「仲介者」なしでは、この世は成立しないのです。
「植物が賢い」のではなく「神が賢い」、ということ。
そして、神の知性は人間のレベルをはるかに超越していて、ケタ外れに優れている才能であるから、宇宙全体を舞台として、魂が歩む壮大な教育プログラムを作り上げてしまった、ということなのです。
セミの一生は「最後に花開く」という美学になっている。
頑張って生きていけば、その努力が報われて、空を飛んだり音楽を奏でられるようになって「ここまで生きてきて本当に良かった」という思いと共にセミは死んでいくのです。
もちろん、人間の一生にも、重大な意味が付け加えられている。
人間に対しては、より高度なことも要求されていて、老いて自分の若かりし頃の過ちを反省することで、自分の魂を成長させる形にもなっているのです。
いつの世も、神の教えを伝える先生的な人が存在していて、これは、決して途切れることはない。
いずれ、何度も何度も聞いている内に、神の教えの真意が分かるようになって、実行できるようになる。
少しずつでもいいから神の教えに従って頑張って自分の魂を成長させていけば、遅い早いの違いこそあれ、みんな、神の御心へと昇進できるようになっているのです。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)