父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

人生の意味

人間が作ったテレビ画面だと、たまに、映像にノイズが走ったり、停電して映像が見えなくなったりすることがあるけど、神が作った宇宙画面においては、全く、そのような事象が起こらない。
目を通して見る映像において、目の方に支障が出た場合を除くと、全く、故障したり、人間的なミスが発生したりする気配すらない。
神々の世界には、よっぽど安定したエネルギー供給源が存在していて、技術的な故障やエラーが発生しない完全無欠なシステムが構築されている、ということなのでしょう。
人間が「こうだろう」と思うはるか上の完璧。
この宇宙の創造主である神は、最低でも宇宙が誕生してから今まで、100億年、何百億年、いや、それ以上、生き続けているかもしれない御方。
人間の高齢である100才よりもはるか上、1億才、1兆才、1京才、さらには、1無量大数才という神ですらも当たり前のように存在しているかもしれない神世界において、「神々の知恵」の結晶である技術力を駆使して作られたのが、今、あなたが住んでいる宇宙なのであって、考えて、考えて、考え尽くして作り上げられている世界なのだから、人間に思いつける「修正点」は、もう、すでに、とっくの昔に、取り除かれている世界なのだ。
神々の世界は、自分の意志で「自分がなりたい容姿」へと自由自在に変身することが出来て、食べ放題、作り放題、遊び放題、何でもやり放題で、永遠の命と若さと美貌、無限の記憶力と処理能力、無償の愛、抜群のデザインセンスを持つ者同士がアイデアを出し合って形成している、魂の卒業試験をクリアした者だけが住むことを許された、まさに、そこは、「楽園」と呼ぶにふさわしい極上の世界。
今、あなたが住んでいる世界で、周りを見渡してもたいした人間がいないのは「そういうレベルの魂が生まれてくる世界」だからなのであって、この世界で学ぶべきことがない者は生まれてくる必要がないから、みんな、何かしらの課題を持って生まれてきている。
「死ぬまで」が修行期間であり、「終末まで」がテスト期間であり、いくつかのテストを乗り越えて神から1人前(1神前)の魂になったと認められたら、あなたは神々の世界の住人(住神)となれるはずなのだ。
神が「絶対的な決定権」を持っているから、神が直々に人間世界を見渡して「この者は神世界行きだ」と認めれば、「天国行き」を飛び越して、いきなり「神世界行き」となるケースも有り得るかもしれない。
神の決定は絶対であり、神が作った宇宙内に存在する何者も、その決定に逆らうことは出来ない。
神が決定したことは、神以外が決定したことを全てなぎ倒し、神の決定が最優先で現実となる。
だから、神が「この者は神世界行きだ」と決定したなら、その者は、間違いなく「神世界へと行ける者」となるのだ。
自分が望まぬ体を望む体へと変更すら出来ない人間とは違って、神は、自分が望む体へと自由に変更できている。
この世は、人間の願望が実現している世界ではなく、神の願望が実現している世界なのだ。
「教育者」として君臨している神が与える苦しみには、それなりの意味がある。
この世に存在しているほとんどの苦しみは「未熟な魂だから」与えられている苦しみなのであって、苦しみが魂に気付きを与える重要な役割を果たしているから存在しているだけの話で、天国へと行けば、かなり軽減されるし、神世界へと行けば、それら全ての苦しみは消えてなくなることとなる。
人間が思っている以上に、人間は、苦しみだらけの体を与えられていて、苦しみだらけの世界で生きている。
「教育」を最大の目的とした刑務所的な側面が色濃い世界に、今、あなたは住んでいるのだ。
刑務所に入っている間は、最低限の衣食住だけ与えられている状態で、衣食住が有り余るほど存在していて、自由な体で自由に楽しめる世界は、刑務所の外にある。
刑務所の中(人間世界)で出来ることは、刑務所の外(神世界)でも出来る。
人間世界で出来ていることの全てが、神世界の劣化版なのだ。
もちろん、人間世界で得られる知識は神世界でも得られるし、神世界の方が圧倒的に知識量が多くて簡単に覚えられる世界であるのは、言うまでもない。
何のために刑務所の囚人に苦行をさせているのかというと「更生させるため」なのであって、だからこそ、人間世界でやるべきことの第一は「更生」であり、仕事や勉強も大切だけど、「心を育てる」ということが「上の世界」へと辿り着くためには不可欠で「最も大切なこと」となる。
自分の人生をふり返れば、自分がどのタイプの「悪魔の誘惑」に弱くて、どのポイントを直せばいいのかが分かると思うし、それは、あなたの魂に足りない部分を改善できるように神が上手に運命を組み立ててくれたから気付ける有難い経験なのだから、神の期待に応えるために、死ぬまでに何とかして、今からすぐにでも自分の魂の「悪いクセ」を直し始めなければいけない。
魂レベルの改善は1日や2日で直るほど簡単ではないから、毎日毎日、自分の過去を反省して、少しずつでもいいから前進していく必要があるのだ。
悪いことをすると心がざわめき出すのは、現世で「親にしつけられたから」「先生に叱られたから」という理由もあるけど、それ以前に、「前世までにおいて自分が信じ続けていた神の教えに背いている」という強い罪悪感が心の奥底から湧き出ているからなのだ。
神の教えに従って生きたことがある人には、魂に「良いクセ」が付いている。
この世に生まれ出てから初めて読んだ書物であるはずなのに、聖書や仏典など、神の教えが記述されている聖典を読んで、すぐになつかしさを感じる人は「前世までで熱心に読んでいた人」。
だから、久しぶりに会った恋人みたいに心がときめいて、読み進めていくと心が落ち着いてくるのだ。
信仰心が篤かった人は、読んだらすぐに神の御心に立ち返ることができる。
できないないなら、今から、頑張って自分で築き上げていけばいい。
やるか、やらないか、だけの話。
やらない人間は、いつまでたっても天国へと辿り着けない。
まず、聖典を子供の頃からずっと読み続けて、ずっと神の存在を信じ続けて神と共に歩んで死んでいく時代を経験して、それから、神の存在が隠された時代において、聖典なしでもちゃんと神の教えを守れるかどうかを試されることになる。
神の存在を隠すために「ダーウィンの進化論」は必要だった。
間違った理論であっても、重要な役割を果たしていることがある。
「間違い」から「正解」へと引っ繰り返す時に驚きと感動が生まれ、より「正解」が際立って人々の心に印象強く残されることになり、その結果、絶対的な存在である神への畏怖が生まれ、魂を正しき方向へと強烈に導いてくれる大きな指針と成り得る。
「必要ないように見えるけど将来を見据えると必要だった経験」というのも、ある。
苦しみが、苦しみを乗り越えた先の自分に、良い結果をもたらすことがある。
自分自身が苦しみを体験したことによって、苦しんでいる人の気持ちを思いやれる優しい魂へと成長できる、ということなのだ。
テレビの中で大失恋して廃人みたいになっている女性タレントを見て「大げさだなぁ」と鼻で笑っていた薄情な人間が、自分も同じ体験をして苦しんだら、「その気持ち分かる」とシミジミ思えるようになって、情がある「人の心の痛みが分かる」人間へと生まれ変わる。
ラクタだと思っていた辛い思い出が、実は、後の自分を輝かせる原動力となっているのだ。
苦しい経験をしたからこそ、優しくなれた。
もちろん、十分に苦しんでいる人の気持ちを思いやれる魂になったならば、もう、苦しみを経験する必要はない。
死後に、そのことを考慮した上で、運命の組み立てが行われているのだ。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)