父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

体の死を乗り越えて魂は生き続ける

サナギになってチョウチョの幼虫の体がなくなることを「死ぬ」として、サナギからチョウチョの成虫の体が形成されることを「生まれる」とすると、「死ぬ前」と「死んだ後」で同じ魂が入っていると考えるのが普通で、「幼虫の時の魂と成虫の時の魂は別物だ」と考える人は、いないはずだ。
サナギの時点を受精した受精卵だと考えると「人間の誕生」の仕組みが見えてきて、生まれる時に、生まれる前の体(チョウチョの幼虫みたいな状態)から生まれた後の体(チョウチョの成虫みたいな状態)へと神の手によって変更されていて、人間の場合は、その時に、記憶の封印処置も施されている、と考えるのが一番しっくりくる自然な流れだ。
「生」と「死」というのは、「体が変更される」というだけの現象で、「生まれる前」「生まれてから死ぬまで」「死んだ後」いずれも同じ魂で、神が存在を認めている限り、ずっと魂は生き続ける、ということになる。
いつか神となれる未来を見据えて、そのために、沢山の教材(雛形)を用意して、神が人間を親身になって教育してくれているのだから、「体が死んだら終わり」というのは、おかしな話だ。
人間の体が死んだ後も、中身である魂は、「神の目」には見えているけど「人間の目」からは見えなくなった「新たな体」を与えられて生き続けている、と考えるのが、一番、理論的に納得できる話なのだ。
「真の死」は魂の消滅を意味し、神世界へと行く前であっても、神が消滅させない限り、「体の生と死を繰り返す」という変則的でいびつな形だけど、魂は永遠に生き続けるのだ。
「体が死んだら終わり」じゃなく「体が死んでからが始まり」で、新たな始まりを、人間世界よりも上の世界で成し得たいのであれば、自分の魂を自分の手で良き方向へと導いていく必要がある。
なぜ「体の死」という苦しみを課せられているのかというと、すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、罰的な意味もあり、教育的な意味もあって、そうなっているだけで、ちゃんと「神の言葉」に従って良き魂となれば、「体の死」という苦しみから解放されて、「永遠の命」と「自分の体を自由に選べる」という、真に永遠であり、真に自由である神世界で、いつか、きっと、暮らせるようになる。
神が100%の能力を発揮した神技術や神作品で彩られていて、夢みたいな世界が実現しているのが神世界。
神が能力をセーブして作った「この世」で実現できている結果から神世界を推測して、ちょっと覗いただけでも、とんでもなく凄い世界であることが、うかがえる。
例えば、の話。
あなたが、録画したテレビ番組を再生して見ている時、「ちょっとトイレに行ってこよう」と思って「一時停止」して、トイレを済ませて戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。
ちょっとした、人間生活のひとときだ。
神の場合は、こうなる。
神が、自分が作った宇宙を再生して見ている時、「ちょっと世界中をじっくりと見て回ってこよう」と思って「一時停止」して、世界中をじっくりと見て回って戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。
これが、ちょっとした、神生活のひとときなのだ。
う~ん、神の例え話の方は、「一時停止」というよりも「スーパースロー」と表現した方が、いいのかもしれない。
人間が走馬灯を見ている時は、ありえないほど膨大な量の「自分の過去」を、一瞬で、見ることが出来る。
その時、おそらく、「人間の思考速度」に制限をかけているリミッターが一時的に解除されて「神の思考速度」に近づいている状態なのでしょう。
「自分の思考速度を調整できる」神は、自分の思考速度をMAXにして、それから「自分の宇宙内を巡回している」という感じなのだと思います。
もしくは、そのMAX状態が通常運転で、人間側の思考速度の方を調整しているのかもしれない。
いずれにせよ、神が軽々と行っている日常生活が、人間の想像をはるかに超えたものであるのは、間違いない。
神は、人間世界を随時チェックしていて、ダメな部分の修正をいつでも行える立場なのだから、もちろん、人間が走馬灯を見ることも想定の範囲内であり、修正することなく残し続けているのは「神がどんな存在であるのか」「神世界がどんな世界であるのか」を知るヒントとするために、あえて、残している、ということになる。
「遺伝子」「サナギ」「走馬灯」、神が粋な計らいでわざと残した数々のヒントを繋ぎ合わせていくと、衝撃的な事実へと辿り着けるように、この世は作られているのだ。
当たり前なことが当たり前に出来るのが神世界であり、神であり、神世界の科学力は、人間世界の科学力を、圧倒的に凌駕している。
人間技術は、常に、神技術の後追いであり、劣化版なのだ。
だから、人間世界で実現できている技術の「さらに上」を考えると、神世界の技術が浮き彫りになってくる。
人間が、グーグルマップで世界を「拡大」「縮小」して地図を見ているように、神は、「宇宙規模」「太陽系規模」「地球規模」「国規模」「都市規模」「家規模」「人間規模」「細胞規模」「原子規模」という風にズーム倍率を変更して、宇宙のどこであっても鮮明に見ることが出来ている。
人間よりも「はるか上」の技術を使用している神なのだから、これくらいのことは出来て当たり前なのだ。
そして、もちろん、「神の目」は、「人間の目」みたいに、酷使したら充血したり疲れ目になったり頭痛になったりすることはなく、衰え知らずで、疲れ知らずで、ずっと快適に使用できて健康なままであることは、言うまでもない。



Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)