父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

あなたの魂の生みの親である父なる母なる神

どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

NO.1の「神を描く人」を目指して頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。
では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

宇宙は、明らかに、誰かによって作られたものなのだから、これは「あなたにも宇宙を作れる可能性がある」ということを意味する。
宇宙は1つではない。
今現在でも宇宙は数多く存在していて、あなたはその中の1つの宇宙に住んでいるのだ。
1つの宇宙に1つの神。
この御方こそが、あなたの魂の生みの親であり、精巧で絶妙に設計運営されている宇宙の自然調和と教育システムを作り出した偉大な創造主なのだ。
本物の預言者は「神の言葉を預かる」。
人間的なミスは除いて大まかな流れにおいて、預言者たちの言葉をつなぎ合わせていくと、芸術的で壮大な神の言葉が浮かび上がってくる。
これは、人間が作り上げたものではない。
人智をはるかに超えている。
正真正銘「神の言葉」なのだ。
有史以来、人類の誕生以来、いや、はるか昔にあなたの魂が誕生して以来、ずっと正しき方向へと導き続けてくれている父なる母なる神。
時に優しく、時に厳しく、時に情熱的な神の姿は、あなたが魂の教育者の立場になった時に理解できるようになることでしょう。
思考を分け隔てて「見えない壁」で区切ってあるのも、教育のため。
思ったことが相手に伝わらずにウソでごまかせたり、壁でさえぎって誰も見ていない状況を作れたりして、この世は「わざと」隠れて悪いことが出来るように設定してある。
この部分こそが、テストで最も重要な所だからだ。
神は内面を重要視して見ている。
表面的なことは二の次。
あなたが魂の審査官となったならば、この重要性を理解できるはずだ。
頭の中で思っていることを相手に伝わらないように設定して、言葉として発してから相手に伝わるように設定しておいて、思考と言葉のどちらも閲覧可能である神が、両方を照らし合わせた正否をチェックしてテスト結果として残しておく。
さらに、宇宙内で起こった出来事も全て記録されているのだから、神に対して隠し事は一切できない。
全てが、丸見えなのだ。
神対神という対等な関係なら「この内容は伝えないでこの内容だけ伝えよう」という会話が成立するけど、神に対して完全下位な存在である人間の場合は、思っていることの全てが神に伝わる一方的な会話となる。
そもそもからして、人間は、巨大な神の脳の1部分を借りた状態で生きている存在で、神は、自分の記憶を見る要領で簡単にあなたの記憶を閲覧できる存在。
あなたが何も言わなくても、あなたのことを全て知っている存在なのだ。
本物の預言者が伝えた通りに、終末において、テスト結果と照らし合わせて、あなたの進路は決められることになる。
テストに合格した者に与えられるのは夢みたいな極楽世界。
魂の卒業試験をクリアした者のみが住むことになる世界だから、相手の気持ちを思いやって行動するのが当たり前の世界で、そもそもからして「相手の幸せを奪いとってやろう」「相手の楽しみを邪魔してやろう」という発想自体がほとんどなく、みんなで協力し合って助け合って、今とは比べものにならないぐらいの自由と平和を手に入れた状態で過ごしている世界なのだ。
自分の中にため込んだ悪を自分で解消できない人間には、「障害者や病弱な体でどうしても出来ない」というような理由もなしに「悪魔の誘惑」にすぐに負けてしまう人間には、思ったことがすぐに実現する、欲しいものがすぐに手に入る世界に住む資格はない。
これは、ちょっと考えれば分かる当たり前の話。
まだまだ未熟な魂だから、本来、必要がないはずの苦しみをわざと追加されているのであって、思ったことがすぐに実現しない、欲しいものがすぐに手に入らない世界に閉じ込められている。
もう、そろそろ、このことに気付かなければいけない。
毎日毎日、やらなくていいはずの歯磨きとお肌のお手入れをやらされ続けて、する必要がないはずのオシッコやウンコをすることを義務付けられていて、くっさいオナラを出して、うっとうしい目クソ鼻クソ鼻水を出して、ちょっと暑くなったり寒くなったり空気が薄くなったりしただけで苦しみ始めて、食べすぎて太ったり不規則な生活をしたり運動不足だったりするだけで不健康になり、紫外線でシミになる恐怖に脅えて、老いでシワになる恐怖に脅えて、体力の減退、視覚や聴覚や味覚の異常、記憶力の低下、ハゲ、ワキガ、口臭、加齢臭、病気、ケガ、様々な恐怖に脅えながら生きている。
まるで刑務所みたいになっていて、やらなくてもいいことをやらされ続けているのは「更生プログラム」だからなのだ。
「長生きしたい」と言っている人は「もっともっと修行したい」と言ってるのだから殊勝なことだけど、ただボケーと生きているだけじゃ意味がなく、もっと上の世界があることに気付いたならば、そこを目指して、そこに住むにふさわしい魂となるように努力していかなければいけない。
死ぬまでが、現役。
定年になって年金生活となっても、上を目指す精神は忘れずにいてほしい。
死んだら終わり、じゃなく、死んでからが始まり。
老いて、今までの自分の人生を反省して死ぬ準備が出来たならば、あとは、「人間」という自分の体に固執せずに、人間の体以上の体を神から与えられることを夢見て死んでいくのが理想的なのだ。
ネコが「またネコとして生まれてきたいんだニャン」と言ってるのに対して、人間が「いや、いや、もっと上の世界があるよ、そこを目指した方がいいよ」と思うのと同じこと。
もっともっと上の世界が存在しているのだ。

 

 

管理人:神描人(かみえがきびと)

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