父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

第6感である「思考覚」

どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

NO.1の「神を描く人」を目指して頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。
では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

口を使わずに「思ったこと」を直接相手に伝える会話を成立させている神経を「思考覚」神経と名付け、そして、「思考覚」は人間の五感以上の感覚なので「第6感」としておく。
なぜなら、人間であるあなたが所有しているのは「不完全な思考覚」で、神が所有しているのが「完全なる思考覚」だからだ。
神とあなたは「思考覚」神経で繋がっていて、あなたの「手足をこう動かしたい」という思考信号を「思考覚」神経を通して「神の脳」が受け取って処理してから、「神の脳」が「手足をこう動かせ」と指令を出して、その指令に従ってあなたの手足は動くこととなる。
そう、あなたの体は、あなたではなく、神が完全支配しているものなのだ。
あなたは、教科書で習ったみたいに、自分の体は自分の脳が指令して操っていると勘違いしていると思うけど、あなたが見たり聞いたりして得られる情報は、全て神が感覚化している感覚なのだから、事実とは少し異なる。
人間は神の模型みたいに作られていて、「人間の脳と体」は「神の脳と体」を知るヒントを教えてくれている感じで、この辺を、「神の姿」を書き現しながら、詳しく説明していくこととしよう。
人間の脳が傷つくと、手足を動かせなくなることがある。
そして、もちろん、脳は、目で見た映像、耳で聞いた音声、頭の中で思ったことを記憶することが出来る。
すなわち、脳というのは、コンピューターで例えると、司令塔であるCPU(中央処理装置)とハードディスク(記憶媒体)を持ち合わせた存在、ということになる。
最近、一般家庭でも、パソコンやスマホが普及して、身近な存在となったので、情弱な人でも、なんとなくは、内部の仕組みをイメージできるようになったはずだ。
さあ、これで、やっと、「神の姿」を書き現せるパズルピースが、揃った。
では、書き現していこう。
CPUがパソコンの処理を行っていて、ディスプレイ内の映像化もCPUからの指示で実現されている。
「神の脳」が宇宙全体の処理を行っていて、宇宙内の映像化も「神の脳」からの指示で実現されている。
すなわち、あなたの目で確認できる「あなた自身の姿の映像」が宇宙内(ディスプレイ内)にあるのであれば、「神の脳(CPU)」が映像化の指示を出したからソコに存在できている、ということになる。
「神の脳(CPU)」が、第6感である「思考覚」を通して「あなたの思考」を受け取り、必要な処理を行った後、「あなたの姿」は映像化されているのだ。
映像化だけじゃなく他の感覚化も、同じく「神の脳(CPU)を経由してから」実現されている。
すなわち、宇宙内にいる全ての知的生命体が「神の脳(CPU)」とつながっていて、映像化・音声化などの感覚化は、必ず、「神の脳(CPU)を経由してから」実現している、ということになる。
ということは、すなわち、「神は宇宙内で起こった出来事を全て丸ごと記憶することが可能な存在である」ということになるのだ!
もちろん、あなたが「見て」「聞いて」「思った」過去の記憶も、無限の記憶媒体である「神の脳(ハードディスク)」に全て残されている。
あなたに思い出せることは、神にも思い出せる。
むしろ、あなたは、何%しかあなたの過去を覚えていなくて、神は、100%あなたの過去を覚えている存在なのだ。
そして、将来、あなたが神と同じ「完全なる思考覚」を所有する存在となれたなら、走馬灯で見る「不完全な過去の記憶」ではなく、「神の脳(ハードディスク)」に鮮明に残っている「完全なる過去の記憶」を引き出せるようになる。
神による封印が解かれれば、現世だけでなく前世・前前世・前前前世……という過去の自分の記憶も、見たい場面を見たい時に自由自在に閲覧できる存在となれるのだ。
もちろん、神が許可したなら、他者の記憶を見ることも可能だ。
そう、まさに、これこそが、この「思考覚神経を通した記憶の受け渡し」こそが、神々の世界では当たり前に行われている会話手段の1つなのであって、あなたも、神に導かれて順調に魂が成長していって神となれたなら、神々の世界でこの会話手段を日常的に使用できるようになるのだ。

神から人間への伝達手段

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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

「いいアイデアが思いついた、これは絶対書かねば」と思って書いている。
そう、書いている本人ですら「神によって書かされた」ということに気付いてすらいないのだ。
神は、全く違和感を与えることなく、息をするごとく、ごくごく自然な流れで人間にアイデアを渡すことが出来る。
書いている最中は、全く疑うことなく「100%自分が思いついて書いている」と人間が錯覚させられるほど、神は、見事に人間と同化して書かせているのだ。
言葉で「あ~だ、こ~だ」言う必要はなく、人間は「神の体の1部分」なのだから、自分の手足を動かすかのように、そっと優しく手助けをする感じで、アイデアという形の閃きを与えてくれている。
書いた後に「あれ?これは、自分が書いたにしては完成度が高すぎるな、誰かに書かされたのかも」と気付くことはあっても、書いている途中で気付けることは、まず、ありえない。
それ程まで完璧に、神は、人間とシンクロすることが可能だ。
だから、いちいち、言葉で伝える必要なんて、ないのだ。
そうやって、だんだんとアイデアを渡していく形で、神によって導かれて進歩してきたのが人類の歴史であり、昔の人間に土器の作り方を教えたのも、今の人間に宇宙船の作り方を教えているのも同じ神なのだ。
地球に埋まっている素材、地球上にある素材は、全て、神が用意したもので、燃料が「石炭」→「石油」に変わって、乗り物が「蒸気機関車」→「ガソリン車」という風に進歩していく流れもあらかじめ予見されていて、火力発電、水力発電風力発電、さらには原子力発電へと技術力が向上することも、神には織り込み済みのこと。
神が作った予定表通りに、人間は進化してきたのだ。
そして、今現在、ほぼ、人類は最終段階に突入している。
宇宙ステーションが建設されて、宇宙空間に住める所まで技術が進歩していて、もし、これから火星に移住できるようになったとしても、その技術を使い、あとは、地球に住んでいた頃に使っていた技術をそのまま使うだけで、もう、すでに、だいたい、宇宙で生き抜く術を知り尽くしている。
教育も行き届いていて、他人から何も言われなくても「何が正義で何が悪なのか」ということは、ほぼ、全ての人が理解できている。
そう、今の人間は、今ある素材で出来ることを、ほぼ、やり尽くしているのだ。
この世は、教育用の世界。
今以上のことを学ばせようとするなら「素材を変更する」「体を変更する」しかない。
すなわち、これは、「終末は、もう、間近だ」ということを意味している。
そして、「最後の審判」で神に選ばれし者は、終末を乗り越え、天国へと生まれ出て、新たな素材と体を与えられた「神人」としての生活がスタートするのだ。

「神の姿」へと導くヒントたち

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醜い幼虫のイモムシから美しい成虫のチョウチョへと生まれ変わる「サナギ」の早送り再生みたいに、自分が「なりたい」と思ったら即時にその姿へと変身できる。
当たり前のことが、当たり前に出来るのが、神だ。
「変身する」というよりも「自分が選んだ姿を相手に見せ続ける」という表現の方が正しいかもしれないけど、いずれにせよ、「始まりの世界」に住んでいる者には、当たり前に出来ていることなのだ。
そして、「自分が所有している宇宙」に関しては、もちろん、「自分が作った世界」なのだから、自分で設定を自由に変更できる立場にいる。
これも、当たり前の話なのだ。
アニメ映画「千と千尋の神隠し」で銭湯の入り口である橋を渡る時、人間は、息を止めないと正体がバレてしまう設定で、千尋が失敗して息をしてしまいカエルの化け物に見つかってしまった場面があったけど、2001年7月に公開されてから17年たった2018年3月現在でも変わらずに、作者がリニューアルを行わない限り、ずっと「息を止めないと見つかってしまう橋」のまま存在している。
それと同じで、ずっと昔に神が思いついた「人間の子供は母親似か父親似の顔になりやすい」という設定も、その後、作者によってリニューアルが行われていないから、今現在でも残っているだけの話なのだ。
「人間的な意思」が加味されている法則は、神が作った法則。
「親に似た子が生まれた方がより愛着が湧くだろう」という「人間的な意思」が加味されているから、そういう法則になっているのだ。
神は、普段、自分の体の外側にある「神が住んでいる世界」で暮らしているから、自分の体の内側にある「人間が住んでいる世界」をメインとして行動していないから、なかなか人間世界のリニューアルは行われない。
体内において、自動的に魂が成長していける世界は構築してあるから、あとは、天使たちに人間の管理をお任せしたりして、神自身は、だいたい、体外で、神生活を満喫している。
もちろん、人間が「大腸菌たちが住んでいる大腸で暮らしたい」と思わないように、神も「人間たちが住んでいる地球で暮らしたい」とは思わないのだけど、自分の子供たちである人間を「立派に魂が成長して早く自分達が住んでいる世界に辿り着けたらいいね」と温かい目で見守ってくれているのは、間違いない。

神は「始まりの世界」に住んでいる

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神は「始まりの世界」に住んでいる。
「矛盾がない世界」だ。
あなたが住んでいる世界が、矛盾だらけで、自力で進化できなくて、自分の体すら支配できない世界なのは「神によって作られた世界」だからなのだ。
神は、何者にも縛られずに生きている。
もちろん、自分の体は自分が支配しているし、自由に作り変えることも可能なのだ。
人間みたいに重力に縛られていないし、むしろ、重力を「作る側」の存在だ。
そう、宇宙内に存在する「人間的な意思」が加味されている法則の全ては、神が作った法則なのだ。
もっと理論的に言うならば、地球だけじゃなく太陽系の他の惑星にも、さらには太陽系以外の宇宙全体の惑星にも採用されている法則なのだから「宇宙の創造主である神が作った法則だ」という結論に到る。
「1+1=2」みたいに「人間的な意思」が加えられていない法則以外は、全て、神が定めた法則なのだ。
何度も言うけど、遺伝子を読み解けばその1部分を読み取ることが出来るし、神が作りし法則は、宇宙内を駆け巡り宇宙全体に管理網を張り巡らし、何者も、その法則には逆らえない。
神は、人間に作れないものを、いとも簡単に作ってしまう。
人間が暗闇でタイマツを燃やすのと同じ感覚で、神は、宇宙内で太陽(恒星)を燃やして光を灯すことができる。
やってることは人間と同じなのだけど、スケールがケタ違いなのだ。
神は、宇宙を誕生させた時点で、今現在の人間の生活様式を予見できていて、さらに未来の生活様式も予見できている。
その宇宙に存在する知的生命体は、その予定表通りに進化していく体を与えられていっているのであって、自力で進化した訳じゃない。
自力で進化できる世界は、神が住んでいる「始まりの世界」であり、その世界に住めるようになるまでは、真の自由は手に入れられないのだ。

人間は神の体を内側から見ている

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もしも、の話。
ある日、あなたの大腸に住んでいる大腸菌たちが「人間」という存在がいることに気付いて、「人間ってどんな姿形をしているんだろう?」「人間というのは、いったい、どこにいるんだ?」と話し始める。
そして時が流れて、ある大腸菌たちが「我々は他の大腸菌たちとは何か違う」「とても賢いし、とても強いし、とても優れているから我々は特別な存在なのだ」と勘違いし始める。
そして、とうとう、支配的な巨大組織が形成され、大腸で大腸菌たちの頂点に君臨し続け、権力と地位を確固たるものとすると、勘違いの度合いが最高潮に達して「もしかしたら我々が人間なのかもしれない」「そうだ!我々が人間なんだ!他の大腸菌どもよ!我々を“人間”と崇めて称賛したまえ!」とか言い始めるのだ。
笑っちゃうでしょ?
もちろん、人間であるあなたは、こう、言うはずだ。
「いやいや、違うよ、お前らは、ただの大腸菌だよ」って。
面白いですよね。
どこを、どう勘違いしたら、こんな話になるんだろう。
無知って怖いですよね。
さて、ここで、いったん、思考をチェンジさせて、「人間」という言葉を「神」に変更して、「大腸菌」を「人間」、「大腸」を「地球」に変更して、もう一度、「もしも、の話」の所から読み直してみて下さい。
神から見たら、人間は、だいたい、こういう風に見えているのだ。
ほんと、笑っちゃう話ですよね。
まさか、大腸菌たちからしてみれば「見えている景色の全てが人間の体の1部分だった」なんて想像すら出来なかった話ですよね。
そして、まさか、自分達が大腸に閉じ込められている存在で、人間の体の外側には、自分達の想像をはるかに超えた素晴らしい世界が広がっているなんて、夢にも思わずに暮らしていることだろう。
う~ん、ここまで話すと大腸菌たちがかわいそうにも思えてきたけど、実は、聡明な読者なら、もう、気付いていると思うけど、人間だって、似たような存在なのだ。
神が作った「重力」というクサリで地球に繋がれていて、大腸菌と同じく、「見えている景色の全てが神の体の1部分だった」なんて思いつくことすら出来ず、そして、神の体の外側に「神々が住む輝かしい世界が存在している」なんて夢にも思わずに暮らしていたのだ。
大腸菌が住んでいる環境と比べたら、人間は、かなり恵まれた環境に住んでいるんだけど、さらに上の世界から見たら、人間は、かなり劣悪な環境で生きている。
もう、あとちょっと、なのだ。
もう、あとちょっとだけ上の世界に行きさえすれば、大腸菌や人間が食べているようなウンコまみれで土まみれな食材は、与えられなくなる。
最初から、水で洗う必要がないキレイな食材を与えられる世界、衣食住の全てがキレイな世界に住むことが出来るようになるのだ。
「美しい心」になれば、それに見合った「美しい世界」が与えられる。
神から「天国」を与えられるのを夢みて、心磨きを忘れずに生きていきましょう。

天使は神に近い最上層に住んでいる

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天使は神にもっとも近い存在で、神が作った「見えない境界線」で区切って何層にも分けられている世界の最上層に住んでいる御方で、神だけで全て処理するのが大変な場合は、天使たちがサポートしている感じだ。
天使たちは、神に近い能力が使えているのだけど、もちろん、その能力は「神が許可している」から使えているのであって、神が作った世界の中では、神が許可しない限り、何事も実現することは出来ない。
天使が使える能力は、ココからココまで。
人間が使える能力は、ココからココまで。
ちゃんと、分けられているのだ。
上の世界は「見えない境界線」で隠されているから、人間は、そのことに気付けない。
そして、そのことを知らせずに放っておくと、やがて、人間は、「自分達が世界の頂点に君臨しているんだ」と勘違いし始めて、おかしな発言や行動をして好き勝手やり始める。
本物の預言者たちによって「神の教え」はちゃんと伝えてあるのに、未熟な魂が生まれ出てきて形成している世界だから、すぐに、間違ったことをやり始めるのだ。
だから、「周りの皆がやっているからやっていいんだ」という考えは、捨てた方がいいのかもしれない。
私の文章を読んでから、周りの人々を見渡してみると「間違っている人だらけだな」と気付けるようになったはずだ。
そういう魂が生まれてくる場所なのだ。
例えるなら、刑務者に入っている人間が「なんで自分の周りには悪人ばかりいるんだろう?」と言っているのと同じ状況で、多くの人々から尊敬されて一般的に「偉人」だと思われている人であっても、間違ったことをいっぱい言ってる世界なのだ。
神に関する書物においても、物知り顔で、知ったかぶって神について語っている人の文章が、ミスだらけで、目も当てられないケースが多々ある。
「神」に関することは「人」には分からない。
本物の預言者を通して、やっと、ちょっとだけ知り得ること。
神がヒントを与えなければ、人間がいくら頭をふりしぼっても、神が住んでいる世界のことは、思いつけない。
だから、神に関する話でミスする人が多発するのは仕方ないことで、ミスしていても「人々を正しい方向に導こう」という気持ちが入ってるならいいと思うし、終末の話にしても、「神の教えに従った者に天国が与えられる」という部分さえ間違ってなければ、人々を正しい方向へと導けるのだから、他の部分でちょっとミスしていても、神は、許してくれるんじゃないかな、と思う。
とにもかくにも「心の中で思っていること」が重要なのだ。

栄光の世界へ

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十人十色、人生色々。
いろいろな人がいるからこそ、人生は面白い。
老いてシワクチャのヨボヨボになっても「まだまだ長生きしたい」と思えるのは、神のデザイン力の凄さの現れなのであって、その恩恵は、はかりしれない。
宇宙のどこを見渡しても、神の息吹は感じられる。
真善美、愛の根源である神に触れたときから、あなたは、夢みたいな世界を目指せる壮大な冒険者となる。
本物の預言者が伝える話は、ウソのような本当の話、夢のような現実の話。
人間の体では、まだまだ、これらを十分に把握できないけど、あなたがもっと神に近い存在となったら、理解しえることなのだ。
人間の親が子供のためを思ってしていることは、もちろん、神も行っている。
人間に思いつけることは、神はとっくに思いついてる。
人間の親がホームビデオやカメラで自分の子供の成長記録をアルバムとして残しておいてあげようとしているように、神も、無限の記憶装置によってあなたの魂が生まれてから今までの成長記録を残しておいてくれているのだ。
それは、あなたが無限の存在となった時、様々な試練を乗り越えて立派な魂となり封印による能力制限が必要なくなって解除された時に「よく頑張ったね」と神から手渡される待望のプレゼント。
その時あなたが目にするのは、泣き笑い頑張って様々な苦難を乗り越えて生きてきた自分の姿、「これ以上のプレゼントはない」という程に感動できるライブラリーなのだ。
神に抱かれ、導かれ、親を愛し、子を愛し、家族を愛し、恋人を愛し、愛し愛され、愛するもののために戦い、正義のために戦い、友情、絆、義理人情、いくたの経験をへて成長してきた自分の姿、どんな映画よりも見ごたえがある感動のストーリー。
そんな最高のプレゼントを受け取って、永遠の命を与えられて、あなたは栄光の世界へと旅立つことになるのだ!

天性の才能、天才

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天性の才能、天才。
凡人と天才の間には、どんなに努力しても追いつけない大きな壁というものが存在していて「根気よく努力し続けられる」というのも一種の才能なのだ。
さらに神から特別な使命を与えられて生まれてきた天才は、別物と考えた方がいい。
生まれた時に、すでに、活躍できることを約束されている人間だから、生まれる前に神が活躍できる舞台を用意してから登場させた人物だから、ビックリするぐらい信じられないような大活躍をする。
時代が生み出した寵児であるため、神が魂に答えを書き込んでこの世に送り出した人間であるため、人生そのものがサクセスストーリーになっていて、神によって導かれた人生であるため、才能が開花した時には見たこともないようなでっかい花が開くことになる。
スポーツなら記録じゃなく記憶に残るタイプで、両方兼ね備えている人もいるけど、いずれにせよ、人の価値観を一変させてしまうほどの魅力を持っている。
芸術家や発明家タイプでは「神からのサポートによって時代を先取りしすぎているため一般人が理解できるようになるまで時間がかかる」という面白い現象も発生する。
ゴッホピカソモーツァルトエジソンニュートンレオナルド・ダ・ヴィンチ
天才たちに変人が多いのは、とてつもない成功に導くために、不必要な知識や能力は、極力、神によって封印されているからで、自分が興味ある分野以外はからっきしダメなケースが多いのは、そういった理由からなのだ。
常識人からは常識をひっくり返す発想は生まれない。
先生の言いなりになって固定観念を埋め込まれてしまった人間は、その常識から抜け出すことは容易ではないのだ。
学校の教師に逆らう問題児こそに天才が多いのは、そのため。
だから、天才には変人が多いのだ。

本物の愛と本物の教育

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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

優しいフリして、性格が最悪な人間がいる。
見た目だけキレイで、中身が最悪な人間もいる。
たいしたことない容姿で、どこが凄いのかよく分からないような人間が、実は、神から絶大な高評価を受けていたりするケースもあるのだ。
失って、はじめて気付けることが沢山ある。
若くて美人だった時にはチヤホヤして言い寄ってきたのに、老いてシワクチャになると、とたんに態度を変えて汚いものでも見るような目で去っていく男
金持ちだった頃には笑顔で近寄ってきたのに、金持ちじゃなくなると、急に態度を変えて冷たい目で見てくる女。
こういった経験を何度もしているうちに、本物の愛が見えてくるようになる。
偽物の愛ではなく、本物の愛、無償の愛。
恋人同士なら、相手の笑顔を見たいから心がこもったプレゼントを手渡したり、相手が喜ぶデートコースを一生懸命に考えたりして、相手の気持ちを最優先にして愛し合う。
夫婦なら、お互いに子供の進路で悩んだり、子育てを協力することで自分達も人間的に成長させてもらって、「お父さん、お仕事がんばってね」「お母さん、お弁当ありがとう」と言われて泣いて喜んだり、いろいろな苦難を一緒に乗り越える事でお互いの絆を深めたりして、美しい愛をはぐくんでいく。
愛があるからこそ、人は強くなれるし、苦難の中へと飛び込むことができるし、人々を心から感動させてくれる数々のドラマが生まれるのだ。
あなたが思い描く「幸せの形」は、どんな形をしていますか?
あなたが幸せな時に他人に邪魔されたくないなら、あなたも、他人の幸せの邪魔をしてはいけない。
他人の幸せを、ねたんではいけない。
他人の幸せを、壊してはいけない。
これは、ちょっと考えれば分かる、当たり前のこと。
死ぬ間際、マザー・テレサから愛情がこもった手厚い看護を受けて死んでいった者は、愛されることの喜びを知り、別の体に生まれ変わった時に、素晴らしき愛のために生きる者となっていることでしょう。
愛の連鎖。
これが、神が最も期待していることなのだ。
人間、いずれ、誰でも、死ぬ。
死ぬまでに「子供達の未来に何を残せたか」が重要で、死んでも、記憶の中でずっと温かく見守り続けて、愛、夢、希望、勇気、情熱を子供に与え続けられる存在になるのが、最も理想的な形なのだ。
欲だけでくっついていた人間では、子供の心に愛を残せない。
醜い欲望は、純粋な愛を台無しにする。
頭の中から完全に醜い欲望を消し去るのが、正しき選択なのだ。
自分の心の中に悪の進入を許してしまったとしても、自分でその悪を退治できたならば、悪に対して強い免疫ができた魂となれるし、悪を知らない人間よりも悪を退治することに秀でた魂となれる。
自分の人生を振り返ってみて、親が悪だから悪になるしか道がなかったり、悪にならなければ生き残れなかったりした人のケースでは、これを、神から期待されているのだ。
悪になってみないと、どれが悪に対して有効なのかが分からない。
人から聞いた話だけでは、本当の意味で身に付いていない。
自分に試して効果があった体験が、そのまま悪に対して有効なワクチンとなるのだ。
ハッカー退治に最も活躍できるのは、ハッカーの手段を知り尽くしている元ハッカーだった人間なのだ。
悪だった人は、まず、自分の力で自分を更生させてから、次に、自分と同じ悪を持っている人を更生させる役割を担当して、社会に貢献するまでを神から期待されている。
これは、悪を避けて生きてきただけの人間には出来ない芸当だ。
相手に対して、まず、「オレもそうだった。その気持ち分かるよ」という話から始められるのが、大きいのだ。
悪を知っている分、たくさんのアドバイスが出来るようになっているはずだし、悪いことをした分は、良いことをして取り戻さなければいけない。
出来る範囲内でいいから、とにかく悪と戦ってみて、悪に対して何が有効なのかを試してみて、見極めて、対処法を確立してから死ぬのが理想的なのだ。
正と邪。
邪になって、はじめて気付けることが沢山ある。
不規則な生活で健康を害することで規則正しい生活の正しさを再認識できるようになるし、太ってみないと、どれがダイエットに効果があるのかが分からない。
いつの世も、真に有効なアドバイスを生み出しているのは、邪の立場から解決方法を模索している人達なのだ。
邪を経験しなければ、何が正なのかが分からない。
神の言葉の正しさは、波乱万丈な人生を送った人ほど理解できるようになる。
理解できないならば、経験が足りないのだ。
分かっているようで分かっていない人間は、文字を読んで記憶しているだけで、役に立つ場面に遭遇するまでは宝の持ち腐れとなっている。
本当に理解できるようになるためには、実体験が不可欠なのだ。
経験が伴って、はじめて神の真意が分かるようになる。
「自分だけじゃなく全体的なバランスを考えなさい」という神の言葉が聞こえてくるようになる。
何事も、バランスが大切なのだ。
自然環境のことを考えすぎると何も出来なくなってしまって文明が停滞するし、考えなさすぎると汚染が進んで人間が住めない環境になってしまう。
これは神の本意ではない。
文明を進化させつつ、なお、環境のことも考えて、開発技術とエコ技術を並行して進めていくのが望ましいのだ。
何事も「中道」が、いい。
そもそも、人間の体からして、そのように作られているのだ。
やらなすぎれば病気になり、やりすぎればケガをする。
絶え間ない努力を続けて超人となっている人は別だけど、生まれつき強靭な体を持っている人は別だけど、夢や希望や感動を与えたいために無理を承知でやっている人は別だけど、それ以外の人は無理をせずに適度な運動を続けるのが理想的なのだ。
人間、命をかけてでも戦わなければいけない時もある。
そんな時は、例外だ。
いずれにせよ、まず健康管理の基礎を身に付けてからの話で、段階を踏んで徐々にレベルを上げていく必要があるし、自分の限界を知って無理をしない勇気も大切なのだ。
他人にできることの全てを、自分もできる訳ではない。
自分を知って、自分の出来る範囲内でいいから、自分なりに考えて最善を尽くして頑張っていけばいいのだ。
根性論ばかり言う人間は、弱者を平気で切り捨てるから気に入らない。
努力と根性も大切だけど、その前に、まず、自分を知ることが最重要事項なのであって、人それぞれ生まれ持った「課題」「好き嫌い」「得手不得手」「性格」「能力」が異なるし、悩みの解決方法も体質や運命によって変わってくるし、神から何を期待されて生まれてきたのかが違うのだから「みんなに同じことを押し付ける」教育は間違っているのだ。
相手によって柔軟に対応するのが、本物の教育。
アドバイスされた側も、アドバイスが間違っていると感じたならば「違うものは違う」と断固拒否する勇気も必要だ。
どんなに偉い人であっても100%正しいことを言う訳ではない。
体が違うのだから、同じ作業をしていても他人の体験と自分の体験では微妙にズレが生じているから、有効なアドバイスも人によって異なってくるのだ。
全ては「相性」であり、「相性が良いものを見つける」のが問題解決への最短ルートとなっていて、相性が悪いものを追いかけ続けても失敗するだけだし、相性が良いものを見つけると一瞬で解決することが多々ある。
他人の意見は参考程度にして「自分の力で見つける」のが大切で、自分で解決するためにこの世に生まれてきたのだから、他人に解決してもらったら貴重な体験を損する形になって進化が遅れてしまう。
楽してトクは得られないのだ。
それでは生まれてきた意味がない。
ズルして手に入れた宝には何の価値もないし、頑張りすぎたら壊れてしまうから、適度な努力を継続して大成させていくのが理想的なのだ。
人間、出来ないことは出来ない。
病気と違って障害は治るものではないし、「ない」ものは「ない」のだからあきらめるしか方法はないし、これは、死ぬまで変わらない。
「ある」ものの中で、最善を尽くして生きていけばいいのだ。
神は、ちゃんと分かってくれている。
頑張った分だけ、ちゃんと評価してくれている。
自分なりに頑張っていけばいいのだ。
他人と見比べて劣等感ばかり感じていると、やる気がなくなってしまうからいけない。
「努力だけでは超えられない壁」というのが存在しているし、凡才がいくら努力しても、努力し続ける天才には、かなわない。
これは、どうしようもない事実なのだ。
何かしらの理由があって神によって分けられているのだから、自分は自分なりに全力投球して頑張っていけばいいのだ。

信号でやりとりする神々の世界

どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

人間にできることは、神にもできる。
コンピューターにできることは、神にもできる。
宇宙内で実現できていることの全てが、神には実現可能なこと。
コウモリの超音波、犬の超高性能な嗅覚、猫の聴覚による俊敏な捕獲道程、鳥の飛行能力、イルカの遊泳能力、カメレオンの変身能力、全ての生みの親である神には全てが見えていて、全てが所有している1つのテクニックであり、全てを自由に変更可能で新たな設定を追加することもできる偉大な存在なのだ。
研究者たちによって次々に新事実が発見されて、賢人が過去の書物を読みまくって膨大な知識を手に入れたとしても、それは、ほんの「神の1部分」を知ったにすぎない。
神に対して軽々しく意見している人間は、実は、神について何も分かってないに等しい。
宇宙に存在する「全て」が神なのだ。
神の処理能力の範囲内で宇宙は広がり、あなたの記憶は「神の記憶容量の1部分」を借りて使用しているにすぎず、神の検問を通過して制限を加えられて適度に少なくなったものが、今、あなたが所有している記憶なのだ。
有限の存在であるあなたには、無限の記憶を処理することはできないから、神が必要な分だけ残して与えてくれている。
あなたが無限の存在となった時に、神、もしくは、あなたの教育係である天使が記憶の編集作業を行ってダイジェスト版となっているかもしれないけど、あなたの魂が生まれてからの全記憶を神から手渡されることになるでしょう。
その時のあなたは自由に体を変更できて、無限に記憶できて、永遠に生きられて、人間の五感以上の感覚を所有し、人間の体だった頃には思いつくことすら出来なかった極上の快楽で満ちあふれている世界に住むことになる。
映像や音声などの感覚は「神経を通して」直接相手に完成品を送ることが出来るから、いちいち歩いて食材を取ってきて料理する必要はないし、もちろん、オシッコやオナラやウンコなんてのはする必要がなく、病気やケガによる死への恐怖、肌のツヤや体力において若さを失う恐怖なんてのも全く存在しない極楽世界なのだ。
周りを見渡しても魂の卒業試験をクリアした者ばかりだから、警察や裁判所なんてのも必要なく、なくったって皆ちゃんとしたルールが魂に刻まれているから、意味もなくあなたを傷つける相手はいない。
そんな夢のような世界が、今現在でも、すでに存在しているのだ。
あなたは、そのことに、気付いていないだけ。
神々の世界での受け渡しは、神経を通して自分の中にあるものを相手へと直接与えてあげることができるから、食材の調達から料理、郵便物の運搬、CDやDVDなどの記憶媒体に保存してからの受け渡し、という面倒な手順を踏む必要はなく、完成品をポンと渡せる世界。
行きたい所にはすぐに行けるし、映像化や音声化など、感覚化の熟練同士がアイデアを出し合って形成されているから、文字通り夢みたいな世界が実現しているのだ。
預言者を通して、やっと、ほんの少しだけ覗ける世界。
そんな世界が、今現在でも存在しているのだ。
人間に与えられている労苦は、ちゃんと魂に良いクセを身に付けさせるまでのペナルティーなのであって、神々の世界には存在しないシステムなのだ。
食事をする時の過程をよ~く思い浮かべてみて下さい。
食べ物を舌で感じて脳に伝わるまでにおいて、神経を通っている間は、ただの「信号」なのだ。
どんなに美味しいものを食べたとしても、神経がなければ脳に伝わらない。
すなわち、これは、美味しい食べ物の「信号」さえ相手に何度もくり返し送り続ければ「美味しい食べ物を食べ放題」という状態が作れることを意味する。
同じく、目から脳、耳から脳に伝わるまでも、ただの映像信号と音声信号なのだから、神々による信号のやりとりによってビックリするような世界が実現しているし、感覚も例外ではなく、セックスをしなくてもセックスのエクスタシーだけを何度でも感じながら過ごすことだって可能だし、何でもやりたい放題で、いかに、神々の世界が極上の快楽で満ち満ちあふれているかを分かってもらえたと思います。
人間の世界におけるギャンブルや酒やセックス以上の快楽がたくさん存在しているから、実は、人間の世界で重宝されている快楽は、神々の世界では取るに足らないちっぽけな快楽として存在しているにすぎないのだ。

壮大なドラマ

どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

私は、話を面白おかしくしようと誇張して書いている訳じゃない。
ただ、事実を書くだけで壮大な話になるぐらい「神はとてつもなく凄い御方だ」ということなのだ。
神は、人間が持っている高画質なテレビよりもはるかに高画質なテレビを持っていて、人間が持っている大容量の記憶媒体(SDカードやUSBメモリやハードディスクなど)よりもはるかに大容量の記憶媒体を持っている。
だから、「宇宙」というテレビ画面内で起こった出来事の全てを録画して残しておくことも可能なのだ。
ヒマラヤ山脈にそびえる世界最高峰の山エベレスト、オーストラリアのエアーズロックアメリカのグランドキャニオン、アメリカとカナダの境界線にあるナイアガラの滝、壮大な自然を前にして、人間はちっぽけな存在だ。
されど、人間の記憶の中にはそれに勝る壮大なドラマが詰め込まれている。
その舞台を用意してくれたのは、誰ですか?
魂が生まれてから今まで、ずっと、あなたの活躍を記録して残してくれているのは、誰ですか?
魂の成長記録。心のアルバム。
お金では絶対に買えない、何事にも変えがたい自分にとっての至高の宝物を残してくれているのは、誰ですか?
記憶の中で微笑み、みんなの幸せを願って無邪気にはしゃいでいた子供の頃のあなたが、今現在の大人のあなたを見て、あなたは、あなたをどう感じますか?
子供の頃「こんな大人にはなりたくない」と思っていた汚い大人。そんな大人になっていませんか?
純粋だった頃の自分に戻れば、今の自分の醜さが分かるはず。
そのために、そのことを気付かせるために、純粋な子供から様々な「悪魔の誘惑」に負けた大人へと進む人生が用意されている。
子供の頃は邪の部分が封印されているから、大人となって現れてきたのが、あなたの魂の本性であり、ちゃんと後悔して反省できる人生となっているのは、そのように神が運命を組み立ててあなたをこの世に送り出してくれたからで、そのことに気付いたのならば、なんとしても神の期待に応えて悪を滅しなければいけない。
自分の力でやってこそ、それは意味があるものとなる。
迷ってはいけない。
悪を退治することに遠慮する必要はない。
消滅させてしまえばいいのだ。
苦しみも悪も、いずれ、消えてなくなる。
苦しみと悪が存在する間に、対処法を確立しておかなければいけない。
偽者の預言者の言葉にダマされず、本物の預言者の言葉に耳を傾け、その真偽を自分自身で判断できるようになったのならば、あとは神の言葉に従って生きていけばいい。
神の御心に従わない者に、明るい未来はない。
神に導かれなければ、決して天国に行くことはできない。
悠久の時を経てたどり着く夢の楽園、妄想の中であなたが考え尽くした最高傑作の快楽ですらも軽く超える快楽が数多く存在している極楽世界が、天国なのだ。
そして、いくつも上の世界へと昇っていって神々が住む神々の世界に到達した時、あなたは真の自由を手に入れることになる。
神に導かれ、神から「永遠の命」を与えられたあなたは、自分の姿を自由に変更できるようになり、制限なしの快楽を味わえる体となり、神レベルの絵画や音楽や料理などの作品で満ち溢れている世界、そんな輝かしい世界へと生まれ出て、自由に羽ばたく不死鳥となるのだ!

魂の卒業試験

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「最も健康的な状態と若さを保てない」なんてのも、おかしな話だ。
若者と老人では同じものを食べても健康や肌のツヤに差が出て、同じだけ運動しても同じだけの結果を得られない今の設定の方が、異常なのだ。
老いたら、わざと報われないようにしてある。
弱者の気持ちを思い知らせるために、そういう設定になっているのだ。
この世には未来に用意されている大きな快楽の縮小版が存在しているだけで、極上の宝物は隠された状態で存在していて、今の人間の体では絶対に見つけることが出来ず、神の御心に従って成長できた魂のみに与えられるようになっている。
永遠の命と若さと美貌、それは、この世にはない。
魂の卒業試験をクリアして、はじめて神から与えられるものなのだ。
小さな快楽のために道を踏み外した人間は、大きな快楽を失うことになる。
自分の将来のためにも、理性を育てておくのが非常に重要なこと。
そのためにまず率先してやるべきことは、自分の心の中に住む悪魔退治。
悪魔は天使の逆のことを言っているだけで、「悪魔の誘惑」の逆を考えてみると正しき道が見えてきて、それこそが人間の本来あるべき姿なのだ。
選択を誤ってはいけない。
「悪魔の誘惑」は、拒否するために存在しているのだ。
そして、拒否できない者が多く住む世界だから、そのことを反省させるための要因として、病原ウィルスやガン細胞や悪玉菌は存在しているのであって、自分の体内に住む悪が、自分に対してどのような影響を与えるかを分からせるために、わざと残してある。
神がその気になれば、これらは全て消え去るし、人間の体を放射能の中でも平気で生きられる体にすることだって可能なのだ。
でも、それでは、反省の機会が減ってしまう。
だから、そういう世界には、なっていないのだ。
自分の体内にいる悪に対しては退治するのに必死になるくせに、自分が悪になることを平気で許しているようでは、ダメなのだ。
自分で、自分の心の中に住む悪を退治して、自分で、自分の心の平和を取り戻す。
悪を退治するまでかなり多くの時間を要するかもしれないけど、自分の力で一生懸命に努力して手に入れたものだからこそ、その経験は大切な宝物となり、生まれ変わった後も、ずっと、自分を正しい方向へと導き続けてくれる原動力となりえるのだ。
滅びの美学。
悪は、滅びるからこそ、美しい。
映画やマンガのストーリーが悪を倒してハッピーエンドで終わるのは、心の中の神がそうさせているからなのだ。
最後は、正義が勝ち、愛が勝ち、ハッピーエンドで終わる。
みんな、心の奥底では、これを、待ち望んでいるのだ。
この世の全ては、神の設定次第で激変する。
自分に無害なものと有害なものの存在は、人間に無毒なネギが猫に有毒である事実に深い意味がないのと同じで、ただ「神がそのような設定にした」というだけの話なのであって、あなたが神となれば、これらを自由自在に変更できるようになる。
そこまで行かなくても、より神に近づいた世界へと辿り着いたならば、ある程度、変更する自由を許可された夢みたいな世界に住めるようになるのだ。
老いや病気やケガなんてのは「ないのが当たり前」。
あることの方が異常なのに、あるのが当然と思い込みながら、そういう風に錯覚させられた状態で人間は生きている。
終末は、もう、間近なのだから、今現在の人間と神の中間の存在である「神人」となる心の準備を進めて、今よりも断然思ったことが実現しやすくなる世界である「天国」に住むにふさわしい品格を身に付けるように努力していかなければいけない。
上の世界の方が、もちろん、楽しい世界に決まってる。
いつまでも古臭い体質の人間にこだわる必要はない。
でっかい夢を持ってトキメキとドキドキを忘れずに生きていけばいいのだ。

終末後に常識は一新される

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人間は、神が作った自動的に進行する教育プログラムの中で生きている。
神が設定変更を行えば、あなたが常識だと思っていたことは一瞬でくつがえされることになり、まさに、その瞬間がやってくるのが、終末なのだ。
その時に、今の常識は一新される。
土を耕して植物の種を植えて、肥料と水を与え続けて成長させて、何ヶ月も辛抱して待って、やっと、美味しい果実が手に入る。
あなたはこれを常識だと思っているけど、これも1つの設定であり、完成品である果実がポンと手に入る世界にすることだって、神には可能なことなのだ。
大事に育てることの大切さを学ばせるために、色々な知識を学ばせるために、植物の成長過程をわざと複雑にしてある。
学び終わったら、すぐに果実が手に入る世界へと移行することになるのだ。
そもそもからして、植物の立場になって考えてみれば分かると思うけど、動物たちが競って奪い取りに来る美味しい料理である果実を実らせて、その中に動物の消化器官では消化されない種を仕込んでおいて、芸術家に勝るとも劣らない美しい花を咲き誇らせている存在なのに、そんな賢い生き物が「ただ太陽の光に向かって伸びていって、あとはボンヤリと突っ立っているだけ」という退屈でつまらない生き方を選択する訳がないのだ。
植物は、自力で進化したのではない。
神が、熟考して作ったのだ。
もしくは、神から作る権利を与えられた者が、神の力を借りて作ったのだ。
これ以外の答えは、ない。
自然環境を整えるため、動物たちにエサを与えるため、人間に感動を与えるために植物は存在しているのであって、今現在は、果実を得るために面倒くさい取得手順になっているけど、本来は、どう考えても「すぐに手に入る」のが当たり前の手順であるはずなのだ。
そうなっていない今の世界の方が、おかしい。
食べ飽きないように多種多様な果実が用意されていて、見飽きないように多種多様な美しい花が咲き乱れているのは、間違いなく、審美眼を持っている「人間のために」作っておいたからなのだ。
人間が家の柱として木材を使用したり、部屋の空気を清浄にするために観葉植物を置いておいたり、花見の季節のために桜の花道を作ったりすることは、植物を用意した時点で、神には全て想定済みのこと。
歴史上に人類が登場する前に、人類のための植物が存在している。
よく「卵が先か、ニワトリが先か」という議論が行われているけど、これは「神の思考が先」という答えが正解で、神が無から創造したものを誰にも気付かれない所にこっそりと置いておいたり、突然変異で誕生させたりして、偶然を装った形で新たな生物は生み出されていくものなのだ。
そして、神が100%の能力を発揮して作られた作品は宇宙の外側にあり、宇宙の内側に存在している作品は、かなり能力をセーブして作られているのだ。
春先の数週間しか桜の花見が楽しめないように、楽しみは、なぜか最小限に抑えられているし、賞味期限や年齢制限など、本来、必要ないはずの制限も加えられているし、制限だらけの不自由な世界にあなたは住んでいる。
美味しい料理を食べ終わると、また手間ひまかけて作らなければいけないし、ずっと至福な状態を保ち続けたくても「お腹いっぱいになるまで」という制限すらも付いているのだ。
人間の体に与えられている快感も、同じだ。
もっともっと楽しめる体になっていてもおかしくないのに、どう考えても少なすぎる快感が体に付加されているだけで、これは、わざと少な目に設定してあるのだ。
セックスの快感は数分くらいで消えてしまうから、また次の快感を追い求めてさまようのだけど、制限なしのエクスタシーに比べれば微々たるもので、人間が追いかけ続けているものは、どれもが制限付きのはかないものばかりで、愛のないセックスの後にはむなしさと罪悪感すらも感じるし、神の御心に沿わない快感を追いかけ続けても、結局、十分な満足は得られないようになっているのだ。
この世のものは、腐ったりサビたり風化したりして、わざと永遠に存続しないように設定されていて、当然あるべきはずのものが与えられていない。
人間がメンテナンスを怠ると壊れていってしまうものばかり。
本当に「ちょっとだけ」の世界なのだ。

父なる母なる神

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宇宙は、明らかに、誰かによって作られたものなのだから、これは「あなたにも宇宙を作れる可能性がある」ということを意味する。
宇宙は1つではない。
今現在でも宇宙は数多く存在していて、あなたはその中の1つの宇宙に住んでいるのだ。
1つの宇宙に1つの神。
この御方こそが、あなたの魂の生みの親であり、精巧で絶妙に設計運営されている宇宙の自然調和と教育システムを作り出した偉大な創造主なのだ。
本物の預言者は「神の言葉を預かる」。
人間的なミスは除いて大まかな流れにおいて、預言者たちの言葉をつなぎ合わせていくと、芸術的で壮大な神の言葉が浮かび上がってくる。
これは、人間が作り上げたものではない。
人智をはるかに超えている。
正真正銘「神の言葉」なのだ。
有史以来、人類の誕生以来、いや、はるか昔にあなたの魂が誕生して以来、ずっと正しき方向へと導き続けてくれている父なる母なる神。
時に優しく、時に厳しく、時に情熱的な神の姿は、あなたが魂の教育者の立場になった時に理解できるようになることでしょう。
思考を分け隔てて「見えない壁」で区切ってあるのも、教育のため。
思ったことが相手に伝わらずにウソでごまかせたり、壁でさえぎって誰も見ていない状況を作れたりして、この世は「わざと」隠れて悪いことが出来るように設定してある。
この部分こそが、テストで最も重要な所だからだ。
神は内面を重要視して見ている。
表面的なことは二の次。
あなたが魂の審査官となったならば、この重要性を理解できるはずだ。
頭の中で思っていることを相手に伝わらないように設定して、言葉として発してから相手に伝わるように設定しておいて、思考と言葉のどちらも閲覧可能である神が、両方を照らし合わせた正否をチェックしてテスト結果として残しておく。
さらに、宇宙内で起こった出来事も全て記録されているのだから、神に対して隠し事は一切できない。
全てが、丸見えなのだ。
神対神という対等な関係なら「この内容は伝えないでこの内容だけ伝えよう」という会話が成立するけど、神に対して完全下位な存在である人間の場合は、思っていることの全てが神に伝わる一方的な会話となる。
そもそもからして、人間は、巨大な神の脳の1部分を借りた状態で生きている存在で、神は、自分の記憶を見る要領で簡単にあなたの記憶を閲覧できる存在。
あなたが何も言わなくても、あなたのことを全て知っている存在なのだ。
本物の預言者が伝えた通りに、終末において、テスト結果と照らし合わせて、あなたの進路は決められることになる。
テストに合格した者に与えられるのは夢みたいな極楽世界。
魂の卒業試験をクリアした者のみが住むことになる世界だから、相手の気持ちを思いやって行動するのが当たり前の世界で、そもそもからして「相手の幸せを奪いとってやろう」「相手の楽しみを邪魔してやろう」という発想自体がほとんどなく、みんなで協力し合って助け合って、今とは比べものにならないぐらいの自由と平和を手に入れた状態で過ごしている世界なのだ。
自分の中にため込んだ悪を自分で解消できない人間には、「障害者や病弱な体でどうしても出来ない」というような理由もなしに「悪魔の誘惑」にすぐに負けてしまう人間には、思ったことがすぐに実現する、欲しいものがすぐに手に入る世界に住む資格はない。
これは、ちょっと考えれば分かる当たり前の話。
まだまだ未熟な魂だから、本来、必要がないはずの苦しみをわざと追加されているのであって、思ったことがすぐに実現しない、欲しいものがすぐに手に入らない世界に閉じ込められている。
もう、そろそろ、このことに気付かなければいけない。
毎日毎日、やらなくていいはずの歯磨きとお肌のお手入れをやらされ続けて、する必要がないはずのオシッコやウンコをすることを義務付けられていて、くっさいオナラを出して、うっとうしい目クソ鼻クソ鼻水を出して、ちょっと暑くなったり寒くなったり空気が薄くなったりしただけで苦しみ始めて、食べすぎて太ったり不規則な生活をしたり運動不足だったりするだけで不健康になり、紫外線でシミになる恐怖に脅えて、老いでシワになる恐怖に脅えて、体力の減退、視覚や聴覚や味覚の異常、記憶力の低下、ハゲ、ワキガ、口臭、加齢臭、病気、ケガ、様々な恐怖に脅えながら生きている。
まるで刑務所みたいになっていて、やらなくてもいいことをやらされ続けているのは「更生プログラム」だからなのだ。
「長生きしたい」と言っている人は「もっともっと修行したい」と言ってるのだから殊勝なことだけど、ただボケーと生きているだけじゃ意味がなく、もっと上の世界があることに気付いたならば、そこを目指して、そこに住むにふさわしい魂となるように努力していかなければいけない。
死ぬまでが、現役。
定年になって年金生活となっても、上を目指す精神は忘れずにいてほしい。
死んだら終わり、じゃなく、死んでからが始まり。
老いて、今までの自分の人生を反省して死ぬ準備が出来たならば、あとは、「人間」という自分の体に固執せずに、人間の体以上の体を神から与えられることを夢見て死んでいくのが理想的なのだ。
ネコが「またネコとして生まれてきたいんだニャン」と言ってるのに対して、人間が「いや、いや、もっと上の世界があるよ、そこを目指した方がいいよ」と思うのと同じこと。
もっともっと上の世界が存在しているのだ。

高度な課題

どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

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全ての苦しみには、それなりの意味がある。
全ての苦しみが、罰的な要素という訳でもない。
例えば、障害者は「前世までの罰として苦難が与えられている」というよりも「普通の課題はクリアしてやることがなくなった魂がさらに高度な課題を与えられている」というケースが多い。
この世では、努力して能力を磨いていくと、どんどんと責任が重い仕事を任されるようになって、悩みが増えていき、得してるんだか損してるんだか、よく分からない状態で過ごしている人が多いと思うけど、これは、より高度な課題を与えられるようになったのだから、その分、クリアした時には神からの祝福が大きいはずだ。
社会が複雑化してきたのは、何度も生まれ変わって「人間」という体に慣れてきて、上手に使いこなせるレベルが高い魂が多くなってきたからで、それだけ高度なことを要求され始めたからなのだ。
ただ単に障害や病気によって苦しめられただけで死んだとしても、その経験は決して無駄にはならず、知らず知らずのうちに、苦しみを味わった分だけ弱者の気持ちを理解できる優しい魂へと成長していっているものなのだ。
なぐられることで痛みを知った人間は、それ以降、なぐり合いのケンカをする時に相手の気持ちを考慮して手加減してなぐるようになる。
やられる側の立場にいる人間は、その苦しみを忘れてはいけない。
そして、その経験を優しさへと変換するのが正しき選択なのだ。
もちろん、親や教師など、第三者的に叱ってあげられる立場にいるのならば、間違いを指摘して叱ってあげるのが望ましい。
自分自身が叱られても直らない人間だったならば、一度、苦い経験をしておく必要がある。
老人に対する優しさが足りないならば、自分が老人となるまで生きて、老人の立場を十分に経験してみればいい。
社会的に役に立っていないように見える弱者や落ちこぼれが、実は、人に本当の優しさを教えるための重要な存在になっていたりするのだ。
存在価値がない人間は、存在しない。
弱者として存在しているだけでも誰かに何かを気付かせる役割を果たしているし、障害者や病人の立場から見ると、健常者の時には見えなかった人間の本性がはっきりと見えるようにもなる。
損得なしでさりげなく優しい人が、本当に優しい人。
本当の優しさを選別できるようにもなる。
無駄な経験というのは、一切ない。
生きているだけでも、かなり沢山のことを学べているのだ。
治らないのが障害で、治るのが病気。
病気の方は、治るのだから、治すことに集中すればいい。
規則正しい生活とバランスの良い食事と適度な運動はもちろん大切だけど、それよりも、もっと重要となってくるのが「心の持ちよう」だ。
本来、人間の体は、薬なんか使用しなくても治癒できるように作られている。
よく「憧れの有名人と対面して再会する約束をして、あまりの嬉しさに難病を吹き飛ばして完治させてしまった」という話を聞くけど、自分の体のことなんか忘れるぐらいにワクワクする出来事が起こった時に、よく奇跡は起きるのだ。
自分の魂が輝いて体の自然治癒能力が存分に発揮された時に、驚異的な回復力が生まれる。
体が病んだからといって、心まで病ませる必要はない。
でっかい夢と希望を持って前向きに生きていけばいいのだ。